名言

2009年5月22日 (金)

飛行機はなぜ飛ぶのか実はわかっていない

↑って知っていました?
こんにちは、西山です。

001

この写真は、以前ここでとりあげた
九谷焼の窯跡の覆屋と同じ敷地に建つ、
以前は工房として使われていた建物です。

今は展示棟として利用されていますが、
往時の雰囲気を感じさせました。

この展示棟には、
九谷焼の名品がずらりと並べれていたのですが、
なかでも驚きだったのが、こちら。

001_2
ちょっとわかりにくいかもしれませんが、
大きさとしては、おちょこくらいです。
このおちょこ(仮)には、模様が描かれているのですが、
この写真ではわかりませんね。

ということで、拡大したものがこちら
003
なんとそこには、大勢の人間が描かれていました。

もう一度書きますが、この器はおちょこ大です。

その側面に、人間わざとは思えないほど細かい絵付けが
なされているのです。
さらに、写真ではわかりませんが、
このおちょこ(仮)の内側にも、同じくらい細かい絵付けが
なされているのです。
(内側のほうがより難しいことは、想像に難くありません)

この細かすぎるほどの絵付けが久谷の特徴の一つである
ということを、スタッフの方に教えていただいたのですが、
そのかたがおっしゃるには、久谷の技術は
1ミリの間に5~6本の線を引くことができるほどだそうです。

常人には考えられない世界です。

そして、こんな細い線を引ける筆はどんなものだろう?と
思いませんか?

これまたスタッフの方の説明によれば、

 絵付けの筆には、ねずみの毛が使われた

とのこと。
なるほどねずみねぇ・・と納得しかけていたのですが、
説明には続きがありました。

 ねずみのなかでも一番いいのは、
 琵琶湖の湖畔の酒屋のねずみの髭です。

と・・。

ここまで細かく、かつ具体的にされると、
おそらくほとんどの人は、迷信の類だと思うでしょう。

正直にいえば、そのときの私も、そう思いました。

しかし今思い返してみると、別の想いを抱きます。

というのも、こういった言い伝えの類は、
建築の分野にも多く存在するのです。
(具体例は後日ということで・・)

それで、そういったもの全てを、

 ああなるほど、昔の迷信ね・・

と片付けてしまっていいのだろうか、と。

私は、そういった言い伝えの多くは、
実は理にかなったものであって、ただ現時点では、
その「理」が解明されていないだけなのではないかと、
勝手に思っています。

というわけで、この類の問題を

 琵琶湖の湖畔の酒屋のねずみの髭問題

と命名し、これから鋭意調査に励もうと思います。

プロジェクト名が長くて、覚えられるか心配ですが・・。

西山哲雄

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2009年3月 5日 (木)

理想


こんにちは、西山です。

先日、ある建築家のお話を聞く機会に恵まれました。

その建築家は、いくつもの海外プロジェクトを抱え、
常に世界を飛び回っているようなかたで、
建築界では誰もが知る、正真正銘のトップランナーなのですが、
その人が、話の中でこんなことをおっしゃりました。

 自分が最初に考えていることなんてたかが知れてる
 
 
どういう意味か、わかりますか?

建築物を建てる際にはしばしば、
建築家がまとめた設計案が、
諸条件の追加や変更などにより、
変更が必要になることがあります。

このことは、建築家にしてみれば、
自分が思い描いた「理想」からかけ離れていく
ということに思えます。

しかし、彼はこう言ったのです。

 自分が最初に考えていることなんてたかが知れてる

と。そして、

 新たな制約の出現によって、
 当初の「理想案」は実現できなくなるわけだが、
 その制約を逆手にとることで、
 もっとすばらしい建築物が産まれる。

 それが本当のクリエイティブだ。

そんなことを聞いて、私は非常に感銘をうけました。

自分が考えた案を「たかが知れてる」と言えること。

そして、
制約によって「理想」をあきらめるのではなく、
まだ見ぬ「さらなる理想」を作り出す力。

大建築家の足元には到底及びませんが、
見習いたいなと思いました。

〈本日の一枚〉
Photo
綿店の前の綿花

西山哲雄

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2008年10月29日 (水)

道具と機械

こんにちは、
水曜日にブログ当番だったのに
うっかりすっとばしてしまい
木曜日の今日、こうしてブログを書いていますが、
過去に戻って記事を書き込むことができるという
お助け機能により、何事もなかったかのように
水曜日に更新したようにみせかけようとしている
西山です。

さてさて、本日はまず3つの引用文から入ります。

 ・どんなに有能な調理道具でも、
  じつのところ「手」につかえる下僕だと
  あらためて知る。

  (平松洋子『平松洋子の台所』新潮社 p95)

 ・近年、人々の生活にもパソコンが急速に入り込むように
  なりました。その一方で、さまざまな問題が浮き彫りに
  なってきています。

  そもそもパソコンは、スイッチを入れてから使えるように
  なるまでの起動時間がかなりかかりますし、
  アプリケーションに不具合が出ることもしばしばです。

  こんな状態ですから
  人間がよほど機械(=パソコン)に合わせないことには、
  使いこなせません。

  これまでは、人間が機械に合わせて働き、
  機械に合わせて行動様式を変えなくてはならない局面が
  多くありました。

  結局、手間が増えてしまい、せっかく機械を使っているのに
  便利になったのかわからないということも
  しばしばあります。

  しかし、これからは「機械が人間に合わせる」ための
  方法を考える必要があります。

  (原丈人『21世紀の国富論』平凡社 P90)

 ・たぶん、仕事にあれ、完成品をもとめていくということ、
  いまここでただちに完全であることを求めるということは、
  道具すら使い捨てていくことになる。

  昔の玉はがねの鍛造の鏝は、
  六寸の鏝が三寸になるまで使うことが出来たものだ。

  機械は、完成品でなければ使えないが、
  道具は完成品ではありえない。

  道具はその用途のために使われるとしても、
  機械とちがってそれを使うものの身体性
  (全身性、眼や指先だけではない)
  を通して性能が発揮されるものであるから、
  道具づくりは九分はつくるとしても
  あとの一分は使うものにあずけなければならない。

  道具の道具たるゆえんは、
  道(過程)の中でおのずから
  本質(機能)が具わってくるということだ。

  (小林澄夫『左官礼讃』石風社 p79)

この3つの文章は、
それぞれ別の本に書かれたものたちです。

一つ目は、フードジャーナリストのエッセイ。
二つ目は、ベンチャーキャピタリストの書いた本。
そして三つ目はおなじみ、わが愛読書『左官礼讃』です。

『左官礼賛』だけは大分前に読んだ本ですが、
後の二冊は今現在、偶然平行して読んでいる本です。

ジャンルも内容も全く違う三冊ですので、
みなさんにとっては何の共通性があるのか
わからないかもしれませんが、
私にとっては、同じことを言っているように思えました。

というのも、
最近、杉板を貼ったりするのに
空気の圧力で釘を打つような機械や、丸ノコなどの
電動工具を使っているのですが、どうもああいった類の
ものに親近感をいだけないのです。

逆に、かなづちや鏝、ノミや鉋といった
ものには、その風体に親近感がわきますし、
(使い込まれたものならなおさらです。)
それらを使うときの音も好きなのです。

単に、

 人力に頼る「道具」→好き
 人力以外の動力を使う「機械」→嫌い

と言ってしまえば簡単なのかもしれませんが、
好きになれない「道具」もあるし、
愛着のわく「機械」もきっとあると思うので、
そんなに簡単には割り切れないなと
思っていました。

そんなところに上の文章たちに出会い、
思わぬヒントをもらった気がします。

この道具(機械)問題はたぶん、これから先も
事あるごとに思い出し、考えていくのだと思いますが、
とりあえず、今日時点での私の勝手な想いを
まとめておきたいと思います。

〈本日のまとめ〉

私の好きな道具(機械)は、

道具(または機械)が人に歩み寄ることで、
道具(または機械)とそれを使う者(自分)とが
一体となり使用でき、
またその使い勝手の調整や、メンテナンス等を
使う者が、自らできること。

西山哲雄

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2008年10月21日 (火)

案ずるより産むが易し

こんにちは、西山です。

本日、
「もみじキャラバン・地域活性化応援隊派遣相談会」
というものに参加して参りました。

内容としては、政府の構造改革特区についての説明・相談と
地域活性化に関する説明・相談という感じで、
我々は、DGK@obuseのことで相談に行ってきました。

相談結果のほうは、今後のDGK@obuseに活かしていくとして、
今日はそのほかに、「地域活性化伝道師」の澤功氏による講演がありました。

澤さんは、谷中で「澤の屋」という家族旅館をされております。
現在澤の屋は、宿泊客の90%以上が外国人旅行者で、
客室の稼働率も、連日ほぼ満室という状況ということで、
外国人に愛される宿として有名になっています。

そんな澤の屋ですが、初めて外国人を受け入れたのは
昭和57年ということでした。
その頃、12部屋ある客室のうち、バストイレ付きがわずか2部屋、
かつ、全ての部屋が和室という澤の屋は、
だんだんと宿泊客離れが進んでいる状態だったそうです。

そしてついに昭和57年の夏、3日間連続でお客ゼロという事態になった澤の屋。
このままでは旅館を続けていくことはできない。
この危機をなんとか乗り越えなくてはいけない。
そんなことで考えられたのが、
「外国人旅行者の受け入れ」だったそうです。

外国人旅行者を受け入れると決めたといっても
それまでは、日本人相手の旅館だったわけですから、
英語が出来る人もおらず、
外国人向けの設備が整っていたわけでもなかったそうです。

それでもなかば無理やりに外国人旅行者を受け入れるようになり、
受け入れてみてわかったことは、

 言葉の問題は、大した問題ではなかった。

ということでした。
大抵は単語英語で通じるし、それでもダメならジェスチャーや筆談(絵)で
なんとかやれたそうです。

言語の問題よりもむしろ、
文化や習慣の違いによるハプニングに苦労されたとおっしゃっていました。

講演のなかで、澤さんがおっしゃったのは、

 外国人旅行客を受け入れる設備や環境を整えてから受け入れよう
 と思っていたら、100年経っても受け入れられない

と。
ご自身の体験に即した、大変重い言葉でした。
一歩踏み出せるかどうか、そのわずかな違いが将来を左右するのだと
思いました。

そしてこのことは、我々が今まさに始めようとしているDGK@obuseにも
いえることだなと。

我々も澤の屋精神を勝手に継承して、がんばりたいと思います。

西山哲雄

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2008年6月20日 (金)

大地を見る ~補足編~

こんにちは、暑くて水分補給をガンガン行っていたら、
勢いよすぎて腹痛を催してしまったお調子者の金石です。

先日、「大地に目を向けようと思う」とブログで書きましたが、
その後、以前に聞いた「ある言葉」を思い出しました。

それは第79回の小布施ッションでのこと。
講師の永田照喜治先生の講話の中にありました。

たしかその時は参加者からの質疑応答に
永田先生が答えていらっしゃった時だったように思います。
愛知県で農業に従事されている方からの質問に対し、

 お宅の畑では黄色い土が出ますか?
 だったらよろしい。
 知多半島のあなたの畑の地区で出るその土ならば好都合です...

詳細は覚えておりませんが、
先生はこんなふうに丁寧に質問に答えていらっしゃいました。

 えぇ、本当!?
 他所の土地の土壌分布まで把握しちゃってるの?

私には到底信じがたいやり取りでしたが、
どうやら先生は日本各地の土壌分布とその性質を、
長く多大な経験から体に刻み込まれているようでした。
そしてここは忘れもしません、最後にこうおっしゃいました。

 もっと地球をよく見てください。

カッコイイ!!
はっきりいって痺れました。
もちろん、ここでいう「地球」とは「大地」のことです。

 この方は野菜を作るのにまず目を向けるのが「地球」なんだ!
 
そのスケールの大きさと、理にかなった視点の鋭さにすっかり魅了されたこと、
「自分も建築の世界でこうなりたい」と強く思ったことを思い出しました。

 きっとそういった影響で、先日のブログのようなことを思ったんだろうなぁ...

と、そんなことを思い出したので補足いたしました。

金石健太

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2007年5月21日 (月)

ガス窯で焼いた瓦は、自然素材といえるか?

こんにちは、晴天のなか、パソコンに向かっている西山です。

最近見かけたことばより。

・自然素材と工業素材では何が違うかというと、
  自然素材は基本的に人間の手の痕跡が残るんですが、
  工業製品は残らないことです。

・まっすぐなことは、今は機械が一番得意なのだから、
機械にまかせておけばいいと思うのです。
人間の手はせっかく性能が悪いのだから、
でこぼこにする方がいいではないか、と。

                          藤森照信さん(小布施ッション冊子より。)

 →藤森建築の根幹を成す考え方だと思います。                         P1010270

P1010525

  人間の手の痕跡を残すと、
  建物に親しみが持てる気がします。
  まるで人格があるかのように・・。
  ちょっと言いすぎですかね。

・今は要するに経済戦争だよ。
  例えば、自動車のデザインでも、去年作ったデザインは古いと見せなくてはならない。
  自動車がまだ動いても新しいデザインが出てくる。
  で、ゴミがいっぱい出て、どうしようもない。
  ものをどんどん作るのが経済の成長というわけだ。
  経済の成長がすなわち人類の幸福だと思っている。
  それは間違いだね。
  今にこういうのはダメになる。
  そんな中にデザイナーが巻き込まれているから、
  本格的にデザインに取り組んで、いつまでも長持ちするデザインを作る暇がないんだ

                                                 柳宗理さん(こちらより)
 
 →「自動車」のところを「携帯電話」と置き換えてみると、より身近な気がします。
   同じ会社のものでも、新機種になると、がらっと変わるのが大半です。
   そんななかで、佐藤卓さんや佐藤可士和さんが手がけているものは、
   少なくとも、「去年のものを古く見せるように」といったことは
   これっぽっちも考えていないように感じます。

   「自動車」を「家」に置き換えた場合、
   そもそも家は、自動車や携帯電話と同列に扱うような、
   「商品」ではないとは思いますが、
   長持ちするデザインを目指すところは同じだと思います。

   しかしまぁ、自動車のモデルチェンジなんかでも、
   こちらの予想を裏切るような、新しい形を期待している自分もいて、
   ちょっと複雑です。
  
  
 ・有機質のものというのは、いかんせん耐久性が低い。
   ですから、ペンキといった石油系の有機塗料は、薄くは塗れますが長くはもちません。
   欧米だろうが日本だろうが、100年前のペンキはもう残っていません。
   でも、左官の壁は100年どころか、500年、1000年前のものも残っています。

                                              齋藤裕さん(こちらの本より)

 →だから土壁は良くてペンキはだめだと言いたいように思われるかもしれませんが、
   肝心なのは、両者の違いをしっかり把握しておくことのように思います。
   ただ、高い安いってのにも、理由があるんだぞ、と。
   考えてみたら当たり前なんですけどね。
  

〈本日の樹木〉

P1010642_1
傘風楼の脇にある木です。
「花が咲くと、名前を尋ねられる」と北斎館の駐車場係のおじさんが言ってました。
調べてみると、白雲木という木だとわかりました。

西山哲雄

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2007年4月18日 (水)

無題無念

こんにちは、
今日のブログを途中まで書いて、
前に一度同じ事を書いていたことに気づいた、西山です。
最近、ネタ切れの感があります。

・前回の小布施ッションの二次会で、
 「バーチャルウォーター」という言葉を、ある人に教えてもらいました。
 はずかしながら、全然知らない言葉でした。
 バーチャルというくらいで、目には見えないわけですが、
 フードマイレージと同じで、
 見えないものを想像するって、結構大変だなぁと。
 
 見えないものを見るちから、鍛えていきたいと思います。

・最近の言葉より。
 
 家を100年保たせるには、どうすればいいのかと聞かれる。
 簡単ですよ、100年経った家を壊してみればいい。
                           大工の棟梁(詳細不明)

  →ハウスメーカーが作る「百年住宅」なんてのに、
   なんだか納得がいかないのは、
   まだ100年経ってないでしょ、ってところなのかもしれません。
   

 仕事に関係のあることだけやっていたら
 仕事になんないんですよ。
                           宮崎駿さん
  
  →だからって、仕事に関係のないことだけやっていたら
   仕事になんないわけで・・。
   当たり前ですね。

 
 けれど、あるとき、こう思ったんです。
 「悩みというのはただの悲しい、
  どうしようもない事実であって、
  自分が悩みとして認定してるから
  初めて悩みなんだ、
  それはただの悲しい事実だとして捉えて
  悩みにしなきゃいいんじゃない?」って。
 どんなに苦しい事実かもしれないけど、
 悩みにしなきゃいいんだって。
                          手相観 日笠雅水さん

  →そうはいっても悩んでしまうと思います。すくなくとも僕は。
   そんなときに、思い出したい言葉です。

〈本日の川〉

P1010277_1

いっそのこと、石がないほうがすっきりしていると思います。
西山哲雄 

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2007年2月15日 (木)

汗っかき

最近の心に残る言葉より。

引越しができる自分というのは、

引越しのそのめんどくさいことを

お金で買えるようになってからは、

失われたんですよ。

             糸井重里さん(全文はこちら

便利になるということは、その一々について、

「~ができる自分」が失われていくことなんだと

納得しました。

便利になることを否定する気持ちは、さらさらありませんが、

便利になるごとに、「失われて」いくんだという感覚を

持ち続けていたいものです。

 若いときに汗をかかないやつは

 年とってから、涙をながすことになる。

             ネバコネ班 指導係 小林さん

昨日のネバコネで、指導をしていただいた、小林さんの言葉。

20代の我々が、息も絶え絶えになるような作業を、

70代の小林さんたちが、連日繰り返しておられるということ。

「昔は、体をつかってやるしかなかったんですもんね」

という話題のなかで、この言葉をいただきました。

若いうちの苦労は、買ってでもしろ

というのと、同じですね。

体を動かすと、脳も鍛えられる気がします。

昔、人生の先輩に言われたのは、

 脳みそに汗をかく

ことの大切さ。

頭で考えずに、筋肉で考える。

昨日は、体も脳みそも、いい汗をかきました。

 〈本日の看板〉

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某所トイレ

なんとも歯切れのよい看板です。

西山哲雄

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