書籍・雑誌

2011年2月21日 (月)

いまさら


こんにちは、西山です。

いまさらのことになりますが、
読売新聞にとりあげていただきました。

こちらです。

しかも元旦の新聞でした。

メインはお施主さんの記事ですが、
少しだけ、登場しています。

西山哲雄

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2010年5月25日 (火)

タイトルに恋して

こんにちは、にしやまです。

先日、本をタイトル買いしました。
タイトルに惹かれて本を買ったのは、初めての経験でした。

タイトルを見て、書かれている内容を想像し、
ほとんど中身を見ずに買うことはたまにありますが、
この本は、そういうのとは違い、
タイトルそのものに心を打たれたというか、

 中身に何が書いてあろうが、
 このタイトルの本を買いたい。

と思ったのです。

で、実際にその本を購入したわけですが、
実は、
本と出合ってから購入に至るまで、
2~3年ほどのタイムラグがありました。

つまり、初対面では購入に至らなかったわけであります。

本との出合いはタイミングが大事で、
一度逃すとその後見かけても、なかなかどうして、
他の本を買ったりしてしまったりして、
そうこうしているうちに、店頭からなくなってしまう・・。
なんてことが、私の身にはよくおこります。

この本もそのような過程を経たのですが・・
ありがたいことに文庫化されたことで
再び店頭でお目にかかることができたのです。
文庫というお買い求め安い価格も手伝い、
やっとこの本は、私の手元に来たのでした。

文庫化によって、表紙が変わってしまったのは
すこし残念でしたが、なにはともあれ、
無事に、タイトル買いできました。

内容はというと・・・タイトルに負けず劣らず秀逸です。

ぜひ。
タイトルは

 『全ての装備を知恵に置き換えること』

です。著者は石川直樹さん。

現代が全ての知恵を装備に置き換えることに終始している
と感じるのは私だけでしょうか?

西山哲雄

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2010年4月 1日 (木)

shukei-books 創刊

こんにちは、にしやまです。
さて本日は皆様にお知らせを。

タイトルにありますとおり、我々修景事業は今年、
出版事業を展開していくこととなりました。

我々には伝えたいことがあります。
いままではそれを、ブログというカタチで皆様に
発信してまいりました。

もともとこのブログを始めたのも、
将来的な「書籍」という形での展開を見越したもので、
つたない言葉ではありますが、
精一杯、思いの丈を書いてきたつもりです。

そして今年、いよいよ次の段階に進むときが来ました。

その名も

 『shukei-books』

です。

我々の伝えたいことを、より多くの人へ、伝えていく。
そのための、書籍化です。

修景事業が出す本だから、『shukei-books』。
単純ですみません・・。

内容は、ブログの書籍化ではなく、
一巻ごとテーマを決めて、
そのテーマについて、

 我々にしか書けないことを、
 誰にでもわかる言葉で書く。 

そんな本にできればいいと思っています。

まずは第一弾として、

 『shukei-books vol.1 茅場 ~茅葺屋根の生まれる場所』

を6月を目処に、発行します。
(目下、編集中です。)

以降、

 『shukei-books vol.2 達磨窯』

 『shukei-books vol.3 三和土』

 ・・・・・・

と、発行予定です。
一年に2~3冊ずつ出していければいいと思っています。

創刊早々、少々マニアックなラインナップではありますが、
どうぞ、 『shukei-books』をよろしくお願いいたします。

詳細が決まり次第、またお知らせいたします。
取り急ぎ、報告まで。

追伸
この「修景事業ブログ」はこれまでと変わらず、
3人の交代制で平日毎日更新でやっていきますので、
これからもどうぞ、ご贔屓に。

Photo
雑草魂でがんばります。

西山哲雄

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2010年2月22日 (月)

なれる

僕は向田邦子にはなれない。

・・・と思う、にしやまです。みなさんこんにちは。

きわめて近距離の徒歩通勤者であることと、
根っからの面倒くさがりやな性格も手伝って、
真冬でも防寒対策を施さないままに
家を出ます。

コートやジャンバーなどの上着はもちろんのこと、
マフラーや手袋さえもせず、
先日まで通勤しておりました。

実際のところ、5分も我慢すれば、職場につきますゆえ、
一時の寒さはさほど苦にならなかったし、
そもそも、手袋を持っていませんでした。

ところが少し前に、ひょんなことから手袋を入手しまして、
しばらくはクローゼットにしまったままでしたが、
ふとした拍子に、それを取り出し、通勤時につけてみました。

結果は、

 たかが5分といえども、手袋の力あなどるなかれ

でした。

それからというもの、手袋を手放せなくなりました。

・・・・・

向田邦子さんは、気に入った手袋を探しているうちに
一冬を手袋なしで過ごしたそうです。

この話が収録された、『夜中の薔薇』というエッセイ集には、
一ページにも満たないような短い話も
沢山収録されているのですが、
その短い中に、彼女にしか書けないことが、
誰にでもわかる文章で綴られていて、
読んでいると、とまらなくなってしまいます。

そんな珠玉のエッセイ集と我が修景事業ブログを
比べるのもおこがましいのですが、
少しは彼女を見習って・・・。

ブログの件といい、手袋の一件といい、
僕は当分向田邦子にはなれそうにもありません。

西山哲雄

追伸
先日お伝えした、

 D勉強の会 わかりやすいにほんのうた

ですが、まだ若干の席の余裕があるそうなので、
みなさんいかがでしょうか?

今週末です。是非!

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2010年2月17日 (水)

boook

自称本好きのにしやまです。こんにちは。

本が好きというより、本屋さんが好きなのかもしれませんが、
時間ができると、本屋に行きたくなります。

行くだけでは飽き足らず、
行けばほとんど、何かしらの本を買ってしまいます。

で、買った分だけ読んでいるのかというと、
買うペースに読むペースが追いつかず、
家には未読本がたまる一方。

冷静に考えれば、
読むペースをあげるか、買うペースを落さない限り
一生かかっても読みきれないのは明らかですが、
今日現在、そのどちらもできておりません。

さらには、某インターネットブックストア
に自分で登録したほしい本リストには
331冊もの本が待ち構えている始末。

僕は一体何をしたいのだろう・・・。

001_2 
買った本を綺麗に読むことができません。
気になった箇所には、赤ペンでラインを引き、
付箋をつけてしまいますが、
ここまで付箋をつけたのは初めてのことでした。

西山哲雄

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2009年11月 5日 (木)

古書店にて

こんにちは、先日の季節外れの雪のせいで
連休の予定が変わってしまった金石です。

この雪が修景事業の予定をも狂わすことになろうとは...
詳しいことは後日報告があるかと思います。

さて、この連休を利用して実家へ帰省した際、
所用で東京の神保町を訪れました。

神保町といえば、言わずと知れた古書店街であります。
古書には興味ありの私ですが、
正直、どのお店にどんな本が置いてあるのか
さっぱり見当がつきません。
時間もあまりないことだし半ば諦めかけていたところに、
パッと見覚えのある店構えが目に飛び込んできました。

たしかこの店、、、
建築関係の本が割と揃っていた店だよな...

学生の頃、一度だけ立ち寄ったことのある店を
数ある古書店の中から偶然見つけ出しました。
まぁ、当時もこの界隈に関して情報を持っていなかった訳だし、
通りから目に付きやすいこの店に
ぷらっと立ち寄っただけなんだと思います。
それから10年が経ち、またもやぷらっと立ち寄ることになろうとは...

階段を地下に下りると、
所狭しと書籍が積み上げられています。
古書独特の匂いと焼け色に包まれた極小空間は、
なかなか居心地の良いものです。

棚にぎっしりと並んだ書籍のタイトルを目で追っていると、
あるタイトルの本を見つけ、そっと手に取りました。

その本がこちら。

Photo 『外部空間の設計』 芦原義信/彰国社 1975

この本、これまたちょうど10年程前に、
大学の友人に借りて一度読んだことがあります。
このイタリアの都市の地図を白黒反転させた表紙は忘れもしません。

詳しい内容まではあまり覚えておりませんが、
当時「これは良書だ!」と感じたことだけは、
今でもはっきりと覚えています。

そんないい加減な読者の私が偉そうに言うのもなんですが、
ぷらっと立ち寄った店でこんな縁に恵まれるとは!
即、買いです。
嬉しい昼休みの楽しみができました。

思いがけず古書店の魅力を体験した
金石健太

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2009年3月13日 (金)

大国

こんにちは、西山です。

先日のブログでお伝えしたとおり、
我々は今、茅葺き作業の真っ最中です。

そんな折、タイムリーなものを見つけました。

コンビにや書店にいく機会があれば是非、
今週号の週刊新潮を手にとっていただきたいのです

目指すページは、
表紙から数枚めくったところのグラビアページです。

グラビアページといいましても、そこに写っているのは
女性ではなく・・・茅葺きなのです。

タイトルは「萱葺き大国オランダ」

オランダという国と、茅葺きというイメージが
がうまく結びつかないかもしれませんが、
実は最近では、
日本よりもヨーロッパの方が茅葺きに力を入れていて、
さらに日本との決定的な違いとして、
日本において茅は、文化財や伝統的な民家に葺かれるのが
ほとんどですが、

あちらでは、そういった歴史ある建物にとどまらず、
新築の家や、公共施設などにも茅が葺かれているのです。

そういった背景には、ヨーロッパにおいて茅葺きが
一種のステータスとなっているという側面もあるようですが、
なにはともあれ、とりあえず、週刊新潮を見ていただきたいです。

そこにはおそらく、
みなさんの想像を超えた「茅葺き」があるはずです。

4ページばかりの特集ですが、
沢山の建物が取り上げられています。

なかでも私の一押しにして一番の驚きだったのが、
「茅葺き壁」とでもいうべき外壁の建物。

見た目は日本でもよくあるような、箱を積み上げたような
モダンな現代住宅なのですが、
その壁が、「茅」なのです。

これには本当にびっくりです。

「茅葺き」が、
「文化財」「民家」「伝統」といったものに縛られることなく、
「現代」「モダン」「美」「住宅」といったものと
うまく結びつき、融合している感じが
ひしひしと伝わってきました。

古いものを大切にすることは、
日本人の得意とするところではあると思いますが、
そこだけにとどまって、うかうかしてられないなと思います。

なんせ、人口1600万人あまりの国、オランダには
茅葺き専門の会社が450社あるそうですから。

大国への道はまだまだ遠い・・。

「本日の茅葺き」
Photo_2 
こちらは日本の茅葺きです。

西山哲雄

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2008年11月19日 (水)

茅刈り@木島平~その5~

こんにちは、毎日おいしい昼食にありついている
西山です。

前回のブログで、

茅刈りはご飯が進む

ということを書きました。
また、昨日のブログでも金石氏が昼食ネタを取り上げて
いましたが、その中にもあったように、
茅刈りで目一杯体を動かした後は本当に食が進みます。

普段は到底食べることのできない量を平らげますし、
それだけ食べでも、午後また茅を刈れば
夜にはちゃんとお腹がすいてくるのです。

食欲、とどまるところを知らず・・。

さてさて、今年の茅刈りを始めたのと時を同じくして、
私は一冊の本を読み始めました。

その本は、
『茅葺きの文化と伝統』(菅野康二、歴史春秋社)
です。

著者の長年にわたる調査研究の成果をまとめた本
で、主に会津地方のことが中心となってはいますが、
茅葺屋根の構造や葺き方はもちろんのこと、
茅葺職人の生活や出稼ぎの実態、
はては、未来の茅葺への提言まで、
茅葺と茅葺を支えた地域社会のしくみについて
網羅された大著です。
なんと650頁もあります。

もちろん、茅場や茅刈りについても書かれていて
学生の時に一度読んではいたのですが、
今回改めて読み返してみて、たくさんの発見がありました。

そのなかでも、一番タイムリーで、一番びっくりしたのが、
茅刈り時のご飯についての記述でした。

以下、該当箇所を引用します。

 茅刈りは朝早い内からの労働で、部落行事の中では最
 大の重労働であった。そのため茅刈りを依頼した施主の
 家や部落では特別なご馳走を作り、最大級の待遇をし
 た。その際特別に用意した特大の昼食を「茅刈焼き飯」
 と言っていた部落が多いので、(中略)以下茅刈焼き飯
 とした。

 郡山市湖南町では、(中略)約600匁の米を炊いた熱い
 ご飯をさらし布の袋に入れ、板の上で揉み、半練り状態
 にして取り出し、藁で作った「つとこ」に入れた。おかずと
 して泥鰌や鮒、きのこ、野菜等を煮染めて、小さいつとこ
 に入れた。茅刈り人に大・小のつとこを渡した。

 (中略)

 東白川郡矢祭町大□(□は土偏に共)では、朝二時に
 施主に集まるので、施主では「イッソウ飯」(一升飯)を
 出し、それを食べてから松明を持って茅場に向かった。
 朝七時頃つとこに入れた塩味のおはぎを食べ、12時に
 はつとこに入れた「イッソウ飯」を食べ、午後四時頃迄に
 茅刈り作業を続けた。休憩時間をはさんで14時間の長
 時間労働であり、施主ではそれに見合った食事を用意
 したのであろう。

 
文中には、2つの町での例がでてきますが、
その中の、ご飯の量に注目してもらいたいのですが、
まず、一つ目の町の例には「600匁」とあります。
「600匁」とはどのくらいの量かというと、本書の注に
よれば、

 600匁=1升

だそうです。

また、もう一つの町の例には、「イッソウ飯」とあり、
括弧内からわかるように、

 イッソウ=1升

です。

つまり、茅刈りの時は、一人一日1升のご飯を食べていた
ということになります。

文中にもあるように、昔は夜も明けきらないうちに、
というか、まだ夜中といえる時間帯から集まって、
茅を刈っていたということですから、
途中で何度も休憩し、朝ごはんや昼ごはんなど、
何回にもわけてそのご飯を食べたのだと思いますが、
それにしても1升ですよ・・。

私のおにぎりがいくら大きいとはいえ、
せいぜい1合ちょっとのものです。

自分では結構食べるほうだと思っていたのですが、
昔の人にくらべれば、屁のツッパリにもならないという
ことを痛感しました。

「茅刈焼き飯」おそるべし・・

西山哲雄

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2008年11月 7日 (金)

こんにちは、西山です。

 先日のブログで、3つの本から同じような言葉を
 引用しましたが、その後読んだ本にも同じような言葉が
 出てきたので、紹介したいと思います。

 ―以下引用―

  1950年代から90年代を通して工学に何が起こってきたか
  ということを一言でいうとすれば、
  モノづくりに対する空洞化、ということになると思います。

  一つはシステムのレベル、もう一つは物質のレベル、
  そして三つ目は建設のレベルというそれぞれのレベルで、
  空洞化が進んできたのです。

  ものをつくるレベルで空洞化が起きています。

  (中略)

  空洞化に歯止めをかけるには、
  非常に困難なことですが、
  工学や技術をわれわれの了解可能な範囲に
  留めておくことです。

  もともと、技術、デザインというのは
  人間のために存在していることを思い出してほしいのです。

  現在、コンピューターの革命的な進化に晒されている
  われわれは、それらを人間の側、われわれの感覚の側に
  どう引き戻すかについて必死に考える必要があります。

  (内藤廣 『構造デザイン講義』王国社p203-205)

 
 内藤廣さんはご存知の通り、著名な建築家であり、
 小布施ッションの講師として来られたこともあります。
 大好きな建築家のひとりです。

 コンピューターのめざましい進歩によって
 建物の構造解析は簡単にできるようになり、
 どんな形の建物でもできない建物はないと言われている現代。

 しかし、コンピューターで解析できたからといって、
 その建物が何の問題もなく建つと思ったら大間違いで、
 実際に、高名な建築家の設計した建物でも
 倒壊事故が起きているそうです。

 そういった事故を防ぐためには、コンピューターがいくら
 進化してもだめで、本当に大切なのは、
 エンジニアが工学的な知識とともに、現場などから身体的に
 得られる「経験知・体験知」といったものを持ち合わせることだ。

 と、本書は説いています。

 この書は東京大学の土木学科の学生に向けた講義をまとめた
 ものということですが、

   組積造・スティール・コンクリート
   プレキャストコンクリート・木造
  
 という構造(素材)別の章立てで、
 それぞれの歴史や使用例、利点や及第点などについて、
 自身の経験を交えながらそれぞれわかりやすく解説が
 加えられています。

 自身が実際に経験されたことや、ご自分で設計された建物を
 例にとり、平易な言葉で説明されているので、
 非常にわかりやすく、入門書としては最適かと思います。

 自作以外の最新の建築物も随所に取り上げられていますが、
 著者の個人的な好き嫌いが垣間見られて、面白いです。
 

 西山哲雄

 

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2008年10月29日 (水)

道具と機械

こんにちは、
水曜日にブログ当番だったのに
うっかりすっとばしてしまい
木曜日の今日、こうしてブログを書いていますが、
過去に戻って記事を書き込むことができるという
お助け機能により、何事もなかったかのように
水曜日に更新したようにみせかけようとしている
西山です。

さてさて、本日はまず3つの引用文から入ります。

 ・どんなに有能な調理道具でも、
  じつのところ「手」につかえる下僕だと
  あらためて知る。

  (平松洋子『平松洋子の台所』新潮社 p95)

 ・近年、人々の生活にもパソコンが急速に入り込むように
  なりました。その一方で、さまざまな問題が浮き彫りに
  なってきています。

  そもそもパソコンは、スイッチを入れてから使えるように
  なるまでの起動時間がかなりかかりますし、
  アプリケーションに不具合が出ることもしばしばです。

  こんな状態ですから
  人間がよほど機械(=パソコン)に合わせないことには、
  使いこなせません。

  これまでは、人間が機械に合わせて働き、
  機械に合わせて行動様式を変えなくてはならない局面が
  多くありました。

  結局、手間が増えてしまい、せっかく機械を使っているのに
  便利になったのかわからないということも
  しばしばあります。

  しかし、これからは「機械が人間に合わせる」ための
  方法を考える必要があります。

  (原丈人『21世紀の国富論』平凡社 P90)

 ・たぶん、仕事にあれ、完成品をもとめていくということ、
  いまここでただちに完全であることを求めるということは、
  道具すら使い捨てていくことになる。

  昔の玉はがねの鍛造の鏝は、
  六寸の鏝が三寸になるまで使うことが出来たものだ。

  機械は、完成品でなければ使えないが、
  道具は完成品ではありえない。

  道具はその用途のために使われるとしても、
  機械とちがってそれを使うものの身体性
  (全身性、眼や指先だけではない)
  を通して性能が発揮されるものであるから、
  道具づくりは九分はつくるとしても
  あとの一分は使うものにあずけなければならない。

  道具の道具たるゆえんは、
  道(過程)の中でおのずから
  本質(機能)が具わってくるということだ。

  (小林澄夫『左官礼讃』石風社 p79)

この3つの文章は、
それぞれ別の本に書かれたものたちです。

一つ目は、フードジャーナリストのエッセイ。
二つ目は、ベンチャーキャピタリストの書いた本。
そして三つ目はおなじみ、わが愛読書『左官礼讃』です。

『左官礼賛』だけは大分前に読んだ本ですが、
後の二冊は今現在、偶然平行して読んでいる本です。

ジャンルも内容も全く違う三冊ですので、
みなさんにとっては何の共通性があるのか
わからないかもしれませんが、
私にとっては、同じことを言っているように思えました。

というのも、
最近、杉板を貼ったりするのに
空気の圧力で釘を打つような機械や、丸ノコなどの
電動工具を使っているのですが、どうもああいった類の
ものに親近感をいだけないのです。

逆に、かなづちや鏝、ノミや鉋といった
ものには、その風体に親近感がわきますし、
(使い込まれたものならなおさらです。)
それらを使うときの音も好きなのです。

単に、

 人力に頼る「道具」→好き
 人力以外の動力を使う「機械」→嫌い

と言ってしまえば簡単なのかもしれませんが、
好きになれない「道具」もあるし、
愛着のわく「機械」もきっとあると思うので、
そんなに簡単には割り切れないなと
思っていました。

そんなところに上の文章たちに出会い、
思わぬヒントをもらった気がします。

この道具(機械)問題はたぶん、これから先も
事あるごとに思い出し、考えていくのだと思いますが、
とりあえず、今日時点での私の勝手な想いを
まとめておきたいと思います。

〈本日のまとめ〉

私の好きな道具(機械)は、

道具(または機械)が人に歩み寄ることで、
道具(または機械)とそれを使う者(自分)とが
一体となり使用でき、
またその使い勝手の調整や、メンテナンス等を
使う者が、自らできること。

西山哲雄

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