書籍・雑誌

2009年11月 5日 (木)

古書店にて

こんにちは、先日の季節外れの雪のせいで
連休の予定が変わってしまった金石です。

この雪が修景事業の予定をも狂わすことになろうとは...
詳しいことは後日報告があるかと思います。

さて、この連休を利用して実家へ帰省した際、
所用で東京の神保町を訪れました。

神保町といえば、言わずと知れた古書店街であります。
古書には興味ありの私ですが、
正直、どのお店にどんな本が置いてあるのか
さっぱり見当がつきません。
時間もあまりないことだし半ば諦めかけていたところに、
パッと見覚えのある店構えが目に飛び込んできました。

たしかこの店、、、
建築関係の本が割と揃っていた店だよな...

学生の頃、一度だけ立ち寄ったことのある店を
数ある古書店の中から偶然見つけ出しました。
まぁ、当時もこの界隈に関して情報を持っていなかった訳だし、
通りから目に付きやすいこの店に
ぷらっと立ち寄っただけなんだと思います。
それから10年が経ち、またもやぷらっと立ち寄ることになろうとは...

階段を地下に下りると、
所狭しと書籍が積み上げられています。
古書独特の匂いと焼け色に包まれた極小空間は、
なかなか居心地の良いものです。

棚にぎっしりと並んだ書籍のタイトルを目で追っていると、
あるタイトルの本を見つけ、そっと手に取りました。

その本がこちら。

Photo 『外部空間の設計』 芦原義信/彰国社 1975

この本、これまたちょうど10年程前に、
大学の友人に借りて一度読んだことがあります。
このイタリアの都市の地図を白黒反転させた表紙は忘れもしません。

詳しい内容まではあまり覚えておりませんが、
当時「これは良書だ!」と感じたことだけは、
今でもはっきりと覚えています。

そんないい加減な読者の私が偉そうに言うのもなんですが、
ぷらっと立ち寄った店でこんな縁に恵まれるとは!
即、買いです。
嬉しい昼休みの楽しみができました。

思いがけず古書店の魅力を体験した
金石健太

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2009年3月13日 (金)

大国

こんにちは、西山です。

先日のブログでお伝えしたとおり、
我々は今、茅葺き作業の真っ最中です。

そんな折、タイムリーなものを見つけました。

コンビにや書店にいく機会があれば是非、
今週号の週刊新潮を手にとっていただきたいのです

目指すページは、
表紙から数枚めくったところのグラビアページです。

グラビアページといいましても、そこに写っているのは
女性ではなく・・・茅葺きなのです。

タイトルは「萱葺き大国オランダ」

オランダという国と、茅葺きというイメージが
がうまく結びつかないかもしれませんが、
実は最近では、
日本よりもヨーロッパの方が茅葺きに力を入れていて、
さらに日本との決定的な違いとして、
日本において茅は、文化財や伝統的な民家に葺かれるのが
ほとんどですが、

あちらでは、そういった歴史ある建物にとどまらず、
新築の家や、公共施設などにも茅が葺かれているのです。

そういった背景には、ヨーロッパにおいて茅葺きが
一種のステータスとなっているという側面もあるようですが、
なにはともあれ、とりあえず、週刊新潮を見ていただきたいです。

そこにはおそらく、
みなさんの想像を超えた「茅葺き」があるはずです。

4ページばかりの特集ですが、
沢山の建物が取り上げられています。

なかでも私の一押しにして一番の驚きだったのが、
「茅葺き壁」とでもいうべき外壁の建物。

見た目は日本でもよくあるような、箱を積み上げたような
モダンな現代住宅なのですが、
その壁が、「茅」なのです。

これには本当にびっくりです。

「茅葺き」が、
「文化財」「民家」「伝統」といったものに縛られることなく、
「現代」「モダン」「美」「住宅」といったものと
うまく結びつき、融合している感じが
ひしひしと伝わってきました。

古いものを大切にすることは、
日本人の得意とするところではあると思いますが、
そこだけにとどまって、うかうかしてられないなと思います。

なんせ、人口1600万人あまりの国、オランダには
茅葺き専門の会社が450社あるそうですから。

大国への道はまだまだ遠い・・。

「本日の茅葺き」
Photo_2 
こちらは日本の茅葺きです。

西山哲雄

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2008年11月19日 (水)

茅刈り@木島平~その5~

こんにちは、毎日おいしい昼食にありついている
西山です。

前回のブログで、

茅刈りはご飯が進む

ということを書きました。
また、昨日のブログでも金石氏が昼食ネタを取り上げて
いましたが、その中にもあったように、
茅刈りで目一杯体を動かした後は本当に食が進みます。

普段は到底食べることのできない量を平らげますし、
それだけ食べでも、午後また茅を刈れば
夜にはちゃんとお腹がすいてくるのです。

食欲、とどまるところを知らず・・。

さてさて、今年の茅刈りを始めたのと時を同じくして、
私は一冊の本を読み始めました。

その本は、
『茅葺きの文化と伝統』(菅野康二、歴史春秋社)
です。

著者の長年にわたる調査研究の成果をまとめた本
で、主に会津地方のことが中心となってはいますが、
茅葺屋根の構造や葺き方はもちろんのこと、
茅葺職人の生活や出稼ぎの実態、
はては、未来の茅葺への提言まで、
茅葺と茅葺を支えた地域社会のしくみについて
網羅された大著です。
なんと650頁もあります。

もちろん、茅場や茅刈りについても書かれていて
学生の時に一度読んではいたのですが、
今回改めて読み返してみて、たくさんの発見がありました。

そのなかでも、一番タイムリーで、一番びっくりしたのが、
茅刈り時のご飯についての記述でした。

以下、該当箇所を引用します。

 茅刈りは朝早い内からの労働で、部落行事の中では最
 大の重労働であった。そのため茅刈りを依頼した施主の
 家や部落では特別なご馳走を作り、最大級の待遇をし
 た。その際特別に用意した特大の昼食を「茅刈焼き飯」
 と言っていた部落が多いので、(中略)以下茅刈焼き飯
 とした。

 郡山市湖南町では、(中略)約600匁の米を炊いた熱い
 ご飯をさらし布の袋に入れ、板の上で揉み、半練り状態
 にして取り出し、藁で作った「つとこ」に入れた。おかずと
 して泥鰌や鮒、きのこ、野菜等を煮染めて、小さいつとこ
 に入れた。茅刈り人に大・小のつとこを渡した。

 (中略)

 東白川郡矢祭町大□(□は土偏に共)では、朝二時に
 施主に集まるので、施主では「イッソウ飯」(一升飯)を
 出し、それを食べてから松明を持って茅場に向かった。
 朝七時頃つとこに入れた塩味のおはぎを食べ、12時に
 はつとこに入れた「イッソウ飯」を食べ、午後四時頃迄に
 茅刈り作業を続けた。休憩時間をはさんで14時間の長
 時間労働であり、施主ではそれに見合った食事を用意
 したのであろう。

 
文中には、2つの町での例がでてきますが、
その中の、ご飯の量に注目してもらいたいのですが、
まず、一つ目の町の例には「600匁」とあります。
「600匁」とはどのくらいの量かというと、本書の注に
よれば、

 600匁=1升

だそうです。

また、もう一つの町の例には、「イッソウ飯」とあり、
括弧内からわかるように、

 イッソウ=1升

です。

つまり、茅刈りの時は、一人一日1升のご飯を食べていた
ということになります。

文中にもあるように、昔は夜も明けきらないうちに、
というか、まだ夜中といえる時間帯から集まって、
茅を刈っていたということですから、
途中で何度も休憩し、朝ごはんや昼ごはんなど、
何回にもわけてそのご飯を食べたのだと思いますが、
それにしても1升ですよ・・。

私のおにぎりがいくら大きいとはいえ、
せいぜい1合ちょっとのものです。

自分では結構食べるほうだと思っていたのですが、
昔の人にくらべれば、屁のツッパリにもならないという
ことを痛感しました。

「茅刈焼き飯」おそるべし・・

西山哲雄

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2008年11月 7日 (金)

こんにちは、西山です。

 先日のブログで、3つの本から同じような言葉を
 引用しましたが、その後読んだ本にも同じような言葉が
 出てきたので、紹介したいと思います。

 ―以下引用―

  1950年代から90年代を通して工学に何が起こってきたか
  ということを一言でいうとすれば、
  モノづくりに対する空洞化、ということになると思います。

  一つはシステムのレベル、もう一つは物質のレベル、
  そして三つ目は建設のレベルというそれぞれのレベルで、
  空洞化が進んできたのです。

  ものをつくるレベルで空洞化が起きています。

  (中略)

  空洞化に歯止めをかけるには、
  非常に困難なことですが、
  工学や技術をわれわれの了解可能な範囲に
  留めておくことです。

  もともと、技術、デザインというのは
  人間のために存在していることを思い出してほしいのです。

  現在、コンピューターの革命的な進化に晒されている
  われわれは、それらを人間の側、われわれの感覚の側に
  どう引き戻すかについて必死に考える必要があります。

  (内藤廣 『構造デザイン講義』王国社p203-205)

 
 内藤廣さんはご存知の通り、著名な建築家であり、
 小布施ッションの講師として来られたこともあります。
 大好きな建築家のひとりです。

 コンピューターのめざましい進歩によって
 建物の構造解析は簡単にできるようになり、
 どんな形の建物でもできない建物はないと言われている現代。

 しかし、コンピューターで解析できたからといって、
 その建物が何の問題もなく建つと思ったら大間違いで、
 実際に、高名な建築家の設計した建物でも
 倒壊事故が起きているそうです。

 そういった事故を防ぐためには、コンピューターがいくら
 進化してもだめで、本当に大切なのは、
 エンジニアが工学的な知識とともに、現場などから身体的に
 得られる「経験知・体験知」といったものを持ち合わせることだ。

 と、本書は説いています。

 この書は東京大学の土木学科の学生に向けた講義をまとめた
 ものということですが、

   組積造・スティール・コンクリート
   プレキャストコンクリート・木造
  
 という構造(素材)別の章立てで、
 それぞれの歴史や使用例、利点や及第点などについて、
 自身の経験を交えながらそれぞれわかりやすく解説が
 加えられています。

 自身が実際に経験されたことや、ご自分で設計された建物を
 例にとり、平易な言葉で説明されているので、
 非常にわかりやすく、入門書としては最適かと思います。

 自作以外の最新の建築物も随所に取り上げられていますが、
 著者の個人的な好き嫌いが垣間見られて、面白いです。
 

 西山哲雄

 

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2008年10月29日 (水)

道具と機械

こんにちは、
水曜日にブログ当番だったのに
うっかりすっとばしてしまい
木曜日の今日、こうしてブログを書いていますが、
過去に戻って記事を書き込むことができるという
お助け機能により、何事もなかったかのように
水曜日に更新したようにみせかけようとしている
西山です。

さてさて、本日はまず3つの引用文から入ります。

 ・どんなに有能な調理道具でも、
  じつのところ「手」につかえる下僕だと
  あらためて知る。

  (平松洋子『平松洋子の台所』新潮社 p95)

 ・近年、人々の生活にもパソコンが急速に入り込むように
  なりました。その一方で、さまざまな問題が浮き彫りに
  なってきています。

  そもそもパソコンは、スイッチを入れてから使えるように
  なるまでの起動時間がかなりかかりますし、
  アプリケーションに不具合が出ることもしばしばです。

  こんな状態ですから
  人間がよほど機械(=パソコン)に合わせないことには、
  使いこなせません。

  これまでは、人間が機械に合わせて働き、
  機械に合わせて行動様式を変えなくてはならない局面が
  多くありました。

  結局、手間が増えてしまい、せっかく機械を使っているのに
  便利になったのかわからないということも
  しばしばあります。

  しかし、これからは「機械が人間に合わせる」ための
  方法を考える必要があります。

  (原丈人『21世紀の国富論』平凡社 P90)

 ・たぶん、仕事にあれ、完成品をもとめていくということ、
  いまここでただちに完全であることを求めるということは、
  道具すら使い捨てていくことになる。

  昔の玉はがねの鍛造の鏝は、
  六寸の鏝が三寸になるまで使うことが出来たものだ。

  機械は、完成品でなければ使えないが、
  道具は完成品ではありえない。

  道具はその用途のために使われるとしても、
  機械とちがってそれを使うものの身体性
  (全身性、眼や指先だけではない)
  を通して性能が発揮されるものであるから、
  道具づくりは九分はつくるとしても
  あとの一分は使うものにあずけなければならない。

  道具の道具たるゆえんは、
  道(過程)の中でおのずから
  本質(機能)が具わってくるということだ。

  (小林澄夫『左官礼讃』石風社 p79)

この3つの文章は、
それぞれ別の本に書かれたものたちです。

一つ目は、フードジャーナリストのエッセイ。
二つ目は、ベンチャーキャピタリストの書いた本。
そして三つ目はおなじみ、わが愛読書『左官礼讃』です。

『左官礼賛』だけは大分前に読んだ本ですが、
後の二冊は今現在、偶然平行して読んでいる本です。

ジャンルも内容も全く違う三冊ですので、
みなさんにとっては何の共通性があるのか
わからないかもしれませんが、
私にとっては、同じことを言っているように思えました。

というのも、
最近、杉板を貼ったりするのに
空気の圧力で釘を打つような機械や、丸ノコなどの
電動工具を使っているのですが、どうもああいった類の
ものに親近感をいだけないのです。

逆に、かなづちや鏝、ノミや鉋といった
ものには、その風体に親近感がわきますし、
(使い込まれたものならなおさらです。)
それらを使うときの音も好きなのです。

単に、

 人力に頼る「道具」→好き
 人力以外の動力を使う「機械」→嫌い

と言ってしまえば簡単なのかもしれませんが、
好きになれない「道具」もあるし、
愛着のわく「機械」もきっとあると思うので、
そんなに簡単には割り切れないなと
思っていました。

そんなところに上の文章たちに出会い、
思わぬヒントをもらった気がします。

この道具(機械)問題はたぶん、これから先も
事あるごとに思い出し、考えていくのだと思いますが、
とりあえず、今日時点での私の勝手な想いを
まとめておきたいと思います。

〈本日のまとめ〉

私の好きな道具(機械)は、

道具(または機械)が人に歩み寄ることで、
道具(または機械)とそれを使う者(自分)とが
一体となり使用でき、
またその使い勝手の調整や、メンテナンス等を
使う者が、自らできること。

西山哲雄

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2008年5月26日 (月)

風が吹けば桶屋が儲かる


こんにちは、西山です。

昨日、桶屋さんに出会いました。

どこで会ったのかというと、
「クラフトフェアまつもと」というイベントです。

ちょうど一年前のブログで紹介した、
マタタビのザルを私が買った、
あのイベントです。

会場内をうろうろしていた私は
大半の出店を見終わった頃に、
おひつやたらいを売っているテントの前にたどり着きました。

まずはその魅力的な製品の数々に、
目を奪われました。

そしてふと、テントにぶら下がる出展者をみました。
そこには、
「南部桶正 奥畑正宏」
という名前。

どこかで聞いたことのある名前だなと。
少し考えた後、思い出しました。

・・あの本に出てた人だと。

あの本というのは、こちらです。
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『桶屋の挑戦』
内容はタイトルどおり、桶屋さんの挑戦の話なのですが、
桶屋さんの話を中心に、
その木桶を使って酒をつくる、造り酒屋
桶の材料となる杉材を育てる林業家
などなどの、
桶と、桶をとりまく人々の話を、
紡ぎ合わせ、見事なひとつなぎの物語となっています。
ちなみに、最近読んだ本のなかでも
1、2を争うお勧めの本です。
みなさん是非、読んでみてください。

この本の中には、桝一市村酒造場の木桶仕込みのお酒の話も
取り上げられていますが、
その本の冒頭で、「変わり者」として
紹介されているのが、奥畑正宏さんなのでした。

この本は、奥畑さんの話を出発点としています。
なんたって、第一章のタイトルが
「変わり者、桶と出会う」ですから。

奥畑さんのことは、『桶屋の挑戦』に譲りますが、
なぜ「変わり者」なのか簡単に説明すると、
 桶屋がどんどんと無くなり、
 桶屋の子供でさえ桶屋を継がないような時代に、
 桶屋と何の関係もなかったにもかかわらず
 桶屋に自ら進んでなった「変わり者」
ということにでもなるでしょうか。

そんなことを思い出した私は、
製品の横で実演をする奥畑さんに
声をかけさせていただきました。

私の質問に、気さくに答えてくださる奥畑さん。
そんなときも、奥畑さんの手はとまりません。

ちょうど、湯桶の側板となる部分を、
材料から切り出しているところだったのですが、
大きな木片に桶専用のカーブした鉈を当てて
コンコンと側板をとっていくその手さばきの見事なこと!

先日竹を割る際に、竹の代わりに自分の指を割りかけた
T氏にも見せてあげたいくらいでした。

作業を続ける奥畑さんの姿に
しばらくの間、完全に私は見とれてしまいました。
あまりの熱中ぶりで、写真をとるのを忘れてしまったくらいですから。

というわけで、本日は写真がありませんが、ご勘弁を。

西山哲雄

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2008年2月28日 (木)

建築は詩

こんにちは。目を瞑ってイメージをしながら熟考する、土屋です。
やはり聞くだけではなく、イメージすることって大事ですよね。

さて最近、修景事業ではとある事業に名乗りをあげるべく、
住宅の設計をしています。
この住宅、建蔽率や容積率、階数などの規定はあるものの、
設定する家族構成や必要諸室などは自由というものです。
この「自由」いうのがなかなか難しく、
さてどんな家がいいものか、と頭を悩ませています。

そんなおり、部屋の片づけをしていると、
ブックカバーのかかった本が出てきました。

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以前、友人の家の間取りを考えているとき買ったものでした。
ブックカバーなんてかけてしまったものだから、
うっかり忘れてしまっていました。一年も‥。

これには、建築家・吉村順三が語った言葉がまとめられています。
「すまい」についての言葉のなかには、
家の形や快適な広さ、床のレベルや明かりの考え方など、
自分が考えていたプランでもっと考えた方がいいなとか、
この考え方で間違ってないなと自信が持てたりとか、
参考になるものがたくさんありました。

また「まち」や「伝統」についての言葉も、
共感できるものがたくさんありますので、いくつか引用してみます。

 ・エレベーションは本来近隣との関係に責任をもち、節度のある態度で
  とりくむべきものである。(中略)人間の自由さをいいものとして形に
  生かしていく努力-責任のある自由さ-を大切にしたい。

 ・その一軒から。自分のデザインする一軒から、街並みを変えていくんだよ。

 ・昔の部落がきれいに見えるというのは、(中略)全体として、その風景を感じて、
  そこにおれは建てるんだという感じが強かったと思いますよ。(中略)いまは
  そんなところまで考えないで、そのものだけを考えますからね。

 ・一夜にして誰もが一件の家を無から考えつく訳ではないのであって、やはり
  建築というのは、昔の人の知恵、それをいかにして新鮮にしてゆくかということが、
  デザインだと思います。(中略)その中には昔からの材料がいっぱいありますので、
  昔の人の知恵を尊重しなければいけないと思います。

私もそう思います。
私はとても建築家とはいえませんが、
志は高く、設計に臨みたいと思います。

土屋 直人

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2007年10月 2日 (火)

読書録2007.10.2

環境問題はなぜウソがまかり通るのか (Yosensha Paperbacks (024))

地球にやさしく という言葉は好きになれません。
しかし、むやみやたらに地球に迷惑をかけるわけにもいかないとは思っています。

なにをして、なにをやめれば、「地球にやさしい」のであろうか?

 ペットボトルをリサイクルするよりも、自動車の量を1000分の1減らすほうが、資源の節約になる。
 ダイオキシンは大して毒ではない。
 北極の氷が溶けても、海水面は上がらない。
 森林は二酸化炭素を吸収しない。

この本に出てくる話は、今まで僕が思い込んでいた、「地球にやさしい」を覆すものばかりです。
よかれと思ってやったことが、ほとんど意味のないことであったり、逆に地球の足を引っ張ってしまうことになったり。
やさしくするのも大変です。

すべてを事実として鵜呑みにしてしまうのは、いけないと思います。
大事なのは、自分の頭で考えること。
今はインターネットという便利な道具があるので、
その気になればいくらでも調べられます。
その気になれば。

新聞やテレビをみていると、
この本に書かれているようなことは、すこしも出てきません。
われわれをその気にさせないための陰謀か?と思ってしまいます。

今は温暖化温暖化と騒がれていますが、
僕(27)が生まれた頃までは、地球寒冷化が学会の定説であったようです。
そんな分野の話ですから、何事も賛否両論あって当然だと思います。

環境問題ではっきりしていることは、ほとんどない

と思ったほうがいいのかもしれません。

最後に少し引用を。

  どんなに科学が発達しても、人間の体は動物である。
 動かさないと鈍っていく。
 筋肉が衰えるだけではなく、細菌にも弱くなる。
 しかし、現代の文明は私たちから運動能力を奪う。
 (中略)
 自動車の窓がボタン一つで開くようになり、
 さらに最近ではドアにもモーターが付いていて、
 少し触れば自動的に開くという車も珍しくはなくなった。
 
 このような生活では人間の腕の筋肉は不要になる。
 (中略)
 人間は動物だから使わなければ機能が後退し、リストラされていく。
 筋肉が細くなり、骨も必要ないので尿からカルシウムが逃げる。
 現代の自動車やエスカレーターは人間の移動を容易にするが、
 同時に人間から運動を奪い、健康体ではなくしていく。

 これを私は「廃人工学」と呼んでいる。

これ、ぼくが引っ越し問題と呼んでいるものに近いなぁと。

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ユーモアって環境問題には無力でしょうか?

西山哲雄

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2007年2月21日 (水)

いざ、ブロードバンド化

今日は着々と工事の進む甘楽に行ってきました。
今日は達磨窯づくりの師匠、伊藤倉次さんもおいでになっており、
お元気そうで何よりでした。
この報告は後日に期待するとして、私はご指名ありましたので、
『続 80対20の法則を覆す ロングテール戦略』について報告いたします。

『続』では、検索連動型広告やブログを使ってのロングテール戦略が、
こと細かに書かれています。これが分かりやすいし、読みやすいのなんの。
「検索連動型広告?」と思った人も、専門用語や仕組みについて、
素人にもわかりやすく書かれていると思います。
さらに、実は『80対20の法則を覆す ロングテールの法則』をこれから読む私でも、
なんら差し支えなく読めます。
また、「戦略」とはいっても、ちょっとしたテクニックや要領を覚えるだけで、
私でも誰にでもできるものばかりです。
もちろん、我が修景事業でも実践可能で効果が期待できると思うので、
ぜひやってみたいと思います。

<本日の一枚>
今日は甘楽の達磨窯の建設地から一枚。

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達磨窯のまわりが山のため、土留めがつくられているのですが、
その土留めがこれです。土留めにしておくにはもったいないくらい立派でカッコイイ!
職人の粋な遊び心を感じます。

土屋直人

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2007年2月19日 (月)

思い込みをすてること

最近、遅ればせながら80対20の法則を覆す ロングテールの法則』を読んでいます。

気になった言葉は、

Webサイトの文字数は多いほうがいい

というもの。

この見出しではじまるセンテンスは、

 面白い、興味のあるコンテンツであれば、どんなに長くても読まれるのだ。

 もし読まれない長文があったとしたら、それは、長いから読まれないのではなく、

 単に面白くないからよまれないのである。

と結ばれています。

ブログもおなじことですね。

肝に銘じたいと思います。

この例でもわかりますが、

文中で、著者の菅谷さんが指摘していることは、

どれもこれも、まっとうなことだという気がしました。

我々はなんの根拠も無く

ホームページは、わかりやすいほうがいい。シンプルが一番。

と思ってしまいがちですけど、

そういった、思い込みにたいして、

菅谷さんが、とてもまっとうなことを述べる。

そんな本だという気がしました。

もちろん、全然知らないこともたくさんでてきますけどね。

とにかく、刺激たっぷりの本であることは間違いありません。

もあるのですが、僕はまだ読んでいないので、

明後日、水曜日担当より、報告します。 

そして、勉強の成果はいずれ、HPで・・。

 〈本日の看板〉

P1000573

看板だらけです。

こうやって見ると、グリコもあまり目立ちません。

西山哲雄

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