文化的景観

2010年11月23日 (火)

KURA

各方面のみなさまがた

大変ご無沙汰しており、恐縮です。

すっかりペースを忘れてしまいました・・。

さてさて、おしらせです。

今月20日発売のKURAに取り上げていただきました。

頁をめくっていただくと、わかるかと思います。

本当は、頁をめくっていただかなくても、わかります。

各種書店、各種コンビニ等で、是非手にとっていただけたらと思います。

にしやま

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2010年7月 9日 (金)

つまづま

こんにちは、にしやまです。

まずはこちらを

先日訪れた五箇山の合掌造りの集落。
合掌造りは妻面に特徴があるので、
それらを撮り集めてみました。

こうしてみると、
どれも同じように見える民家も
それぞれ少しずつ違っていることがわかります。

西山哲雄

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2010年7月 6日 (火)

なりわい

こんにちは、にしやまです。

少し前のことになりますが、
一般社団法人日本茅葺き文化協会の

 「第1回 茅葺きフォーラム 茅葺きの暮らしと生業」

に参加してきました。

開催場所は・・・

001

世界遺産五箇山です。
(※写真は五箇山の合掌造り民家・・・ではありません。)

伝統産業や伝統技術の多くは、
高度経済成長期を境に衰退の道をたどりました。
そして、
後継者に恵まれないまま職人の高齢化は進み、
現在に至って、
70代や80代の方々の踏ん張りにより、
何とか伝統の灯を消さずにいる・・。
というのが現状でしょう。

茅葺きも例に漏れず、
技術をもつ親方達は70代、80代という状況です。

ただし・・ひとつ違うのは、
後継者が育ってきているということ。

我々と同年代、
20代から30代の若者たちが、
「茅葺き」を生業に選びはじめているのです。

この会にはそういった茅葺き職人の方々が
多く参加されており、
我々にとっては、同年代の同志達と出会うことができる
格好の場となりました。

それぞれに挨拶を交わし、話を聞いてみると、
大学を出て職人の道に入った人や、
他の職業を経て茅葺きにたどり着いた人、
ほかにも様々な経歴をもつ人がいて、
多種多様な人が集まってきているという印象を受けました。

多様な人がいるということは
その分だけ、茅葺きに対するスタンスがあるわけで、

 ここからきっと、
 未来へむけた茅葺きの様々な動きが出てくるに違いない

と思わずにはいられせんでした。

前に書いたように、
ヨーロッパでは茅葺きがステータスとなっており、
ビルの壁に茅を葺くようなことも行われています。

それにくらべれば日本はまだまだではありますが、
いつかきっと・・・。

フォーラムで出会った若者達がやってくれることでしょう。
我々修景事業も含めて、ですが。

002
こちらが本当の合掌造りです。

西山哲雄

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2010年6月23日 (水)

達磨窯のできるまで。

こんにちは、にしやまです。

さて、動画をつくってみました。
達磨窯をつくるときに、定点観測の写真を
撮りつづけていたので、
それをスライドショーにしてみました。
少し長いですが、
お時間のあるときに見ていただくと、
達磨窯のつくられかたがわかります。

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2010年6月 7日 (月)

かんちがい

我々が探していたのは、
土管ではなく陶管でした。

そういうわけで、こんにちは
にしやまです。

前回、達磨窯に使う煙突用の土管を探している
と書きました。

前回の記事を書いた後も、ネットで土管のありかを
探していたのですが、
調べを進めていくと、

 陶管

なる言葉を発見。よくよくみてみると、
どうやらこの「陶管」こそが、我々の探しているものである
ことがわかったのです。

どうりで、土管で検索しても、
なかなか欲しい情報にたどり着けなかったわけです。

というわけで、その後無事に取り扱い業者をみつけ・・

001
早速とりにいってきました。

この地方では、陶管が町の特選ブランドになるほどで、
かつてはその生産が盛んだったということですが、
それも今ではわずか一社を残すのみとのこと。
それだけ陶管の需要がなくなったということかもしれませんが、
関東圏でみてもこの会社のみということで、
遠くから陶管を求めて来る人もいるようです。

我々もまさに、ですが。

001_2
敷地に積み上げられた陶管。
正確にいうとこちらは土管(素焼き土管)です。
一度トンネル窯を稼働させると、
最低でも1日に5千本の土管が焼けるそうです。

002
高く積み上げられたパレットがわかるでしょうか?
これだけのパレットを必要とするほどの土管が
焼かれるということです。
なんせ一日5千本ですから・・。

西山哲雄

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2010年5月17日 (月)

達磨窯のレシピ

Photo_2
粘土

Photo_3
Photo_4
瓦とシャモット(シャモットは瓦を砕いたもの)

Photo_5
Photo_6
藁と縄(縄も藁からできている)

Photo_7
耐火煉瓦

Photo_8
日干し煉瓦
(粘土とシャモットとワラでできている)

材料はほぼこれだけ。
(そうそう、水も必要です。)
以上のものによりまして・・・・

(二ヵ月後)

001_3
達磨窯の(一応の)完成!

002
こちらのほうがわかりやすいかな?
(窯以外の色目がおかしいのはお気になさらず・・。)

これでようやく地瓦づくりのスタートラインに立てそうな我々です。
なにはともあれ、これで小布施に達磨窯ができてしまったので、
あとは焼くだけ!!

エイプリルフールの「DGK元年宣言」からはや2年。

2007年甘楽
2008年淡路
・・・・
2010年小布施

3年連続とはいきませんでしたが、
小布施に(本当に)達磨窯ができました。

西山哲雄

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2010年4月15日 (木)

かべについてのおぼえがき

最近また、古い壁と格闘していた
西山です。

そんななかで気づいたことがあるので、
覚え書いておきます。

漆喰の壁を塗り替えようと、既存のはがれかかった漆喰を
剥がしていてきづきました。

 漆喰の継ぎはぎは有り得ない

と。

どういうことか?
こちらの写真を見ていただくのが早いかと。

001_2
こちら、幟の広場の通称「留蔵」
古い荒壁と新しい補修とが
なんともいえないパッチワークとなり、
そこに長い年月の蓄積を感じさせ、
この場の景観に一役かっています。

私が気づいたのは、この「漆喰版」は有り得ないということです。

考えてみてください。
漆喰塗りの蔵を
同じように部分補修したとするならばそれは、
この土蔵と同じような空間の質を
周囲に提供することができるのだろうかと。

おそらく無理だろうと思います。

土壁仕上げと漆喰仕上げ
最後に漆喰を塗るかどうかという些細な違いに思えますが、
土壁と違い漆喰は
歴史の蓄積を感じさせにくい素材であると言えそうです。

漆喰は強固ですが、
補修が必要となるときには、
壁はひび割れ、一部が剥がれ落ち・・
という状態になります。

土壁のように、

 すこしずつ表面が風化していき、深い陰影を落すようになる

というわけにはいかないのです。

ですからその一部だけを補修したとしても、
補修した漆喰壁以上のものにはならず、
それならば一面ごと見切って、
既存の漆喰を全て剥がして塗り直すことが、最善であろうと。

たとえ、その部分以外はまだまだ壁として機能しているとしても
剥がさなければならないのです。

西山哲雄

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2009年12月10日 (木)

酒林

こんにちは、西山です。

本日、我々は、山へ行ってきました。
そのわけは・・・

Photo
これです。

杉玉(造り酒屋の店先によくある、杉の葉の大きな玉)を
つくるために、
山から軽トラック2台分という大量の葉を集めてくるというのが、
本日のミッションでした。

まとめると、間伐された杉の木の、
葉っぱを切って集めるという、ただそれだけのことですが、
それがなかなかどうして、興味深い経験となりました。

作業開始前、
遠目ではどれも綺麗な緑の葉に見えたのですが、
実際に近寄ってみると、
個体差や伐採された時期の差などにより、
色の差があることがわかりました。

用途を考えると、なるべく青々とした葉を集めたい我々。
おのずと、
できるだけ鮮やかな緑色をした葉を求めて、
杉林の間を行ったり来たりすることに・・。

そして、しばらく作業に没頭した後のことでした。
私はあることに気づいたのです。

 自分の中の、「緑色」の数が増えている。

と。

最初はせいぜい、

 綺麗な緑
 いわゆる普通の緑
 くすんだ緑

といった3段階くらいを識別する程度だったのが、
最後には、うまく言葉では分けられませんが、
感覚的には10段階くらいの「緑色」が
自分のなかで生まれていました。

この感覚、すごくおもしろかったです。

普段みなれた「緑色」のなかに、
自分のしらない新しい「緑色」を発見したような・・。

「緑色」の奥行きを感じた一日でした。

西山哲雄

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2009年12月 7日 (月)

理想の

こんにちは、西山です。

先週の金曜日から日曜日まで、
我々は訳あって茨城へと遠征してきたのですが、
その道中で、いいものを見つけました。

001
これぞ、三和土
という三和土です。
この凸凹具合がたまりません。

年月を重ねた三和土は、このように表面が凸凹になり、
時に苔むし、なんともいえない表情を醸します。

しかし、よくよく考えてみると、

 なぜ表面が凸凹になるのか

ということについて、その理由を深く考えたことがないことに
気づきました。

 真新しい三和土が、年月を重ねるごとに
 履物や箒などによってその表面が削られていき
 凸凹になっていく・・・

となんとなく思っていたのですが、
表面が削られていくのはわかるとしても、
その結果がなぜこのように、
小さな凹凸の連続になるのでしょうか?

・・・・・

文明の利器の力を借りて少し調べてみたところ、

 下駄を履いていたことにより、凸凹ができた

という説があるようです。

う~ん・・、本当でしょうか?
もしそうであるならば、
下駄など履かなくなった現代の生活においては、
三和土はいくら経っても凸凹にならない
ということなのでしょうか?

幸いにも我々はつい最近、
三和土を施工する現場に恵まれましたので、
しばらくその様子を見守ってみたいと思います。

・・・しばらくって、どのくらいかかるか、見当もつきませんが。

西山哲雄

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2009年11月17日 (火)

かくすかくさない

こんにちは、西山です。

先日、京都を訪れたことは既に前々回のブログで
触れましたが、本日もまた、京都ネタをお送りいたします。

朝五時京都駅着という深夜バスで京都に降り立った私。

目的の行事は昼過ぎからの開催でしたので、
半日たっぷりの自由時間が私にはありました。
といっても、
この時期の京都の朝五時はまだ暗く、
当然ながら開いているお店など、皆無といっていいほど。
お寺にしても大抵は、開門まであと数時間は待たなくては
ならないという状態でした。

そんななか、かの清水寺が午前6時半開門という
うれしい情報を入手しまして、
清水寺を第一の目的地としました。

土地勘の無い場所では目的の場所まで
どういった交通機関でいけばいいのか、
もしかしたら徒歩でいける距離なのか?
ということにいつも迷います。

今回も京都の距離感覚が全くなかったのですが、
時間もあることだし、と
四条烏丸から清水寺まで徒歩でいくことにしました。

すこしずつ夜があけ始めた京都の町を
ひたすら歩き清水寺を目指すなか、
ふいに目の前に、「ザ・京都」というような町並みが
現れました。

002
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人生初祇園です。
当然のことながら、早朝の祇園に
人気は皆無でした。

犬矢来、瓦屋根、下屋の上の板壁、すだれ・・・

個々の建物をよくみると、「おや?」と思うところも
なきにしもあらずなのですが、
建物を構成する要素を限定することで、
町並みに統一感を生み出しています。

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隠すべきものは、隠す。
二枚目の写真はわかりずらいですが、
真ん中に小さな扉が隠されています。

さすが、京都です。

そんな町並みを後にした直後に
私の目に飛び込んできた光景がこちら。

Photo
あの町並みから、ほんの数メートルで、これです。

「さすが京都」撤回です。

001_2
002_2
その後も快調に歩き続け、開門直後に到着した清水寺。
人もまだそれほどおらず、静かに建物と対峙することが
できました。

西山哲雄

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