文化的景観

2009年12月10日 (木)

酒林

こんにちは、西山です。

本日、我々は、山へ行ってきました。
そのわけは・・・

Photo
これです。

杉玉(造り酒屋の店先によくある、杉の葉の大きな玉)を
つくるために、
山から軽トラック2台分という大量の葉を集めてくるというのが、
本日のミッションでした。

まとめると、間伐された杉の木の、
葉っぱを切って集めるという、ただそれだけのことですが、
それがなかなかどうして、興味深い経験となりました。

作業開始前、
遠目ではどれも綺麗な緑の葉に見えたのですが、
実際に近寄ってみると、
個体差や伐採された時期の差などにより、
色の差があることがわかりました。

用途を考えると、なるべく青々とした葉を集めたい我々。
おのずと、
できるだけ鮮やかな緑色をした葉を求めて、
杉林の間を行ったり来たりすることに・・。

そして、しばらく作業に没頭した後のことでした。
私はあることに気づいたのです。

 自分の中の、「緑色」の数が増えている。

と。

最初はせいぜい、

 綺麗な緑
 いわゆる普通の緑
 くすんだ緑

といった3段階くらいを識別する程度だったのが、
最後には、うまく言葉では分けられませんが、
感覚的には10段階くらいの「緑色」が
自分のなかで生まれていました。

この感覚、すごくおもしろかったです。

普段みなれた「緑色」のなかに、
自分のしらない新しい「緑色」を発見したような・・。

「緑色」の奥行きを感じた一日でした。

西山哲雄

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2009年12月 7日 (月)

理想の

こんにちは、西山です。

先週の金曜日から日曜日まで、
我々は訳あって茨城へと遠征してきたのですが、
その道中で、いいものを見つけました。

001
これぞ、三和土
という三和土です。
この凸凹具合がたまりません。

年月を重ねた三和土は、このように表面が凸凹になり、
時に苔むし、なんともいえない表情を醸します。

しかし、よくよく考えてみると、

 なぜ表面が凸凹になるのか

ということについて、その理由を深く考えたことがないことに
気づきました。

 真新しい三和土が、年月を重ねるごとに
 履物や箒などによってその表面が削られていき
 凸凹になっていく・・・

となんとなく思っていたのですが、
表面が削られていくのはわかるとしても、
その結果がなぜこのように、
小さな凹凸の連続になるのでしょうか?

・・・・・

文明の利器の力を借りて少し調べてみたところ、

 下駄を履いていたことにより、凸凹ができた

という説があるようです。

う~ん・・、本当でしょうか?
もしそうであるならば、
下駄など履かなくなった現代の生活においては、
三和土はいくら経っても凸凹にならない
ということなのでしょうか?

幸いにも我々はつい最近、
三和土を施工する現場に恵まれましたので、
しばらくその様子を見守ってみたいと思います。

・・・しばらくって、どのくらいかかるか、見当もつきませんが。

西山哲雄

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2009年11月17日 (火)

かくすかくさない

こんにちは、西山です。

先日、京都を訪れたことは既に前々回のブログで
触れましたが、本日もまた、京都ネタをお送りいたします。

朝五時京都駅着という深夜バスで京都に降り立った私。

目的の行事は昼過ぎからの開催でしたので、
半日たっぷりの自由時間が私にはありました。
といっても、
この時期の京都の朝五時はまだ暗く、
当然ながら開いているお店など、皆無といっていいほど。
お寺にしても大抵は、開門まであと数時間は待たなくては
ならないという状態でした。

そんななか、かの清水寺が午前6時半開門という
うれしい情報を入手しまして、
清水寺を第一の目的地としました。

土地勘の無い場所では目的の場所まで
どういった交通機関でいけばいいのか、
もしかしたら徒歩でいける距離なのか?
ということにいつも迷います。

今回も京都の距離感覚が全くなかったのですが、
時間もあることだし、と
四条烏丸から清水寺まで徒歩でいくことにしました。

すこしずつ夜があけ始めた京都の町を
ひたすら歩き清水寺を目指すなか、
ふいに目の前に、「ザ・京都」というような町並みが
現れました。

002
001

人生初祇園です。
当然のことながら、早朝の祇園に
人気は皆無でした。

犬矢来、瓦屋根、下屋の上の板壁、すだれ・・・

個々の建物をよくみると、「おや?」と思うところも
なきにしもあらずなのですが、
建物を構成する要素を限定することで、
町並みに統一感を生み出しています。

003
004
隠すべきものは、隠す。
二枚目の写真はわかりずらいですが、
真ん中に小さな扉が隠されています。

さすが、京都です。

そんな町並みを後にした直後に
私の目に飛び込んできた光景がこちら。

Photo
あの町並みから、ほんの数メートルで、これです。

「さすが京都」撤回です。

001_2
002_2
その後も快調に歩き続け、開門直後に到着した清水寺。
人もまだそれほどおらず、静かに建物と対峙することが
できました。

西山哲雄

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2009年11月12日 (木)

力なり

こんにちは、西山です。

久しぶりに、リアルタイムでブログ更新しています。
このところ、西山分の更新が滞ってしまい
申し訳ありませんでした。

本日、

  10/9、15、20、23、28
  11/4、9

以上の更新を完了しました。
あいかわらずたわいもない話が満載ですが、
よろしければどうぞ。

さてさて、
さすがにこれだけ更新をためてしまったのは初めて
だったので、正直あせりました。

最初のうちは、いくつたまっているかを認識していたのですが、
途中からは、

 とにかくたくさんたまっているけど・・

とアバウトな認識になり、かなり現実逃避をしておりました。

やはり、少しずつやるのが一番ですね。

・・・・というか、日付を偽装して、過去の更新をでっち上げる
というのは、なんだかおかしいですね。

今後はなるべくこのようなことがないようにしたいとおもいます。

ということで、
更新が滞っているあいだに11月に入ったというのに
ここで勝手に

 継続

を今年の個人テーマにしたいと思います。

イメージとしては、バッターが毎日素振りをするように、
私もなんらかの「素振り」を毎日していきたいなと
思う次第であります。

正直、具体的なところはまだ見えていないのですが、
毎日かかさず、
たとえ明日、その必要がなくなるとわかっていても

 素振り

していきたいと思います。

【本日の京都】
001_5
前も取り上げました、京都の犬矢来です。
個別更新可能な、素晴らしいアイテムです。
しかし、右の部分をよく見ると・・
002_6
おわかりでしょうか。
右半分は、竹ではなく、木製です。
竹矢来でも木矢来でもどちらでもいいと思うかもしれませんが、
個人的には、

  ・竹は木にくらべ成長がはやく、わりとどこにでもあり
   入手しやすい。
  
  ・竹を加工するには、鉈とそれを扱う腕があれば十分だが、
   丸太の状態の木からこのような細い材をこしらえるには、
   現実的には大掛かりな機械に頼らざるを得ない

  ・竹矢来は節がリズムを刻み、豊かな表情を生み出している。

  ・竹は容易にしなる。

  
などの理由から、竹矢来を強く推したいと思います。
(現実に、ほとんどが竹矢来ですが・・。)

竹矢来推進委員会
西山哲雄

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2009年11月 4日 (水)

たたく、たたく

こんにちは、西山です。

先日、三和土を施工しました。

それも、「たたきもどき」ではなく、本物の「たたき」
左官職人にやり方を教わり、文字通り、たたいてきました。

三和土と書くくらいなので、材料は土、石灰、苦汁。
あらかじめ土と石灰を混ぜておき、苦汁をいれながら
あとはひたすら
002_4

001_3

 たたく、たたく、たたく、たたく、たたく、たたくたたくたたく・・・

 この道具は「たこ」という名前です。
 ちなみに「いか」という名前の道具にはまだ
 出会ったことがありません。

なかなかの肉体労働でしたが、
おかげで立派な三和土の土間ができました。
これまた勘所をつかむことができれば
素人にも出来る作業でした。

只今修景事業では、
三和土製作依頼、絶賛受付中です!
あなたも一緒にたたきませんか?

しかし、何回叩いたことだろうか・・。

西山哲雄

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2009年10月28日 (水)

すくなくゆっくり

このところ取り組んでいるある建物の再生の仕事の現場では
できるかぎりお施主さんにも作業に参加していただいています。

その建物では、
崩れ落ちた土壁の木舞を補修し、
新たにベトを塗りなおすという作業を
お施主さんにやっていただいたのですが、
私が一通りやりかたを実践してみせただけで、結果、
立派な左官職人が誕生しました。

木舞を掻くのは奥様のほうが得意で、
ベトを塗るのはだんな様が得意と、
見事な分業体制で、
壁を仕上げていく様はとても見事なものでした。

少しの指導により、素人でもできるようになり、
基本を教えただけで、それを状況にあわせて応用することも
容易であるということ。

全てがそうだとはいえませんが、
古い建物をとりまく技術は、
プロでない人の参加を前提としたものが多く、
そういった意味では、
セルフビルド的な志向には向いているのかもしれません。

なによりお二人が楽しそうに作業している姿をみることができて
こちらも感無量でした。

出来上がりも十分に壁として機能するもので、
「綺麗さ」「平滑さ」といったところで勝負すれば
プロには到底及びませんが、
逆にプロには出すことの出来ない「作為のない痕跡」にあふれた
とても魅力的な壁になったと思います。

もうひとつ、プロとの違いは「スピード」。
速さで勝負すれば熟練の手には敵いませんが、
「スピード」が問題になるのは、それがコストに直結するからです。
しかし、自分達の手やれば、「ゆっくり」でもかまわないし、
一度に沢山の面積に手をつけようとしなければ、
膨大な作業量と作業時間に気が遠くなることもないでしょう。

だからだいじなのは、

 すくなく、ゆっくり

ということだと思います。

西山哲雄

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2009年10月15日 (木)

前提とするものの違い

こんにちは、西山です。

先日、実家の稲刈りに参戦して参りました。
稲刈りをするのは随分久しぶりだなと思って、
考えてみたらなんと
前回は(おそらく)小学生時代のこと・・。

15年以上ぶりの稲刈りとなりました。

さて、
現代では、稲作の機械も便利なものがあるので、
コンバインなんかをつかえば
稲刈りも楽々と終わってしまうのでしょうが、
我が家の田んぼでは、
ベテランの機械たちが依然として活躍しておりますゆえ、
バインダーで刈った稲を、はぜにかけて干し、
ハーベスターで脱穀するという、少々手間のかかる工程で
行われています。

手間がかかるといっても
刈り取るのは機械がやってくれますので、
私の仕事といえば、
刈り取られた稲束をはぜにかけたり、
はぜを組んでいったりという
それほど力を必要としない作業でありました。

我が家の田んぼは、自家用・親類縁者用のお米を
つくっているだけなので、
広さとすればそれほどでもないのですが、
バインダーで次々と刈られていく稲を見て、

 これを全部鎌で刈れって言われたら・・断ろう。

という強い決意をもちました。
とはいえ、先人たちは当たり前のように鎌で刈っていたわけで、
そう思うと、その苦労に頭がさがります。

 昔は便利な機械が存在しなかったのだから、
 それが当たり前で、特段苦労ということはなかった

と言われてしまえばそれまでですが、
すごく簡単にまとめてしまえば

 前提とするものの違い

ということになるでしょうか。

先人たちは、

 自分の身体が前提

であったわけです。ですから身体を動かし、道具を使って
なんでもやっていました。

ですが、我々世代になるともう

 便利な機械が前提

ということになるわけです。
人間の何倍のスピードで作業する機械や
何十馬力もあるような重機を前提として作業を進める・・。

そのことが悪いわけではないですが、
個人的には

 機械を前提とするということは脆い

と思うのです。

これまたすごく簡単に言ってしまうと

 機械がなければなにも出来ないでしょ?

ということなのです。
そして、

 機械ありきでは、身体に知恵は蓄積されにくい

ということも、感じるようになりました。

最近、
公私にわたり様々な大先輩達と付き合う機会を得て
つくづく思うのが、

 彼らは本当の「知恵」を持っている

ということです。
それは個人差こそあれ、ある世代以上の方々に
共通のことであるように思います。

そこにはやはり

 自分の身体が前提

ということが原因としてあるのではないかと
私は思います。

【本日の一枚】
091_4
我が家の稲刈り風景
長野では鉄製のはぜ棒の足をよくみかけますが、
あちらでは依然として、雑木や竹製のものが主流です。

私がたてた足のいくつかは、
脱穀を待たずして倒れてしまったと
後日報告がありました。

来年の課題とします。

西山哲雄

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2009年10月 9日 (金)

大きさを揃えること

こんにちは、西山です。

先日、自分が使っている電卓と携帯電話のサイズが
ほとんど同じ大きさだということに気づきました。

001_2
002_2
こちらがその写真。
こちらがその写真。
すこしわかりにくいですが、
どちらの写真とも、
黒い携帯電話の上に、白い電卓が乗っています。

厚みこそ違うものの、
平面的なサイズはほぼ一緒です。

おそらく両者をデスクの上においた状態で作業していて
何かの拍子に重ねてしまったところ
この事実に気づいた
ということだと思うのですが、記憶が定かではありません。

しかし、このことに気づいたときには、
なんだかうれしかったですね~。

そのことだけはよく覚えています。

上記のことは、

 両社のデザイナーが意図的にサイズをあわせた

ということではなくて、
純然たる偶然の出来事であるとは思うのですが、
物のサイズをあわせていくということは、
様々な可能性を秘めていると思います。

現在取り組んでいる再生の現場では、
お施主さまが、壊されてしまう古民家などから
譲り受けた床板や木製建具を
出来る限り再利用することを試みているのですが、
ここで大切になるのが「サイズ」であると、
身にしみて感じました。

民家は基本的に尺貫法に則ってつくられていますから、
床板などを再利用する際には、
長さを調節することなくそのまま使うことができるわけです。

また、建具にしても、
幅は尺貫法に基づいた柱間隔によって、
いくつかのバリエーションに大別することができますし、
高さにしても、「五八(ごはち)」と呼ばれるような
5尺8寸という高さが一つの基準となっていますので、

 あっちの建物から持ってきた建具をこっちのたてものへ

ということが、何の不都合もなく、簡単に出来てしまうわけです。

再利用に耐えうるだけの丈夫なつくりであるとか、
無垢材を使用しているだとか、
他にも重要な要素はありますが、
これからの「持続可能な社会」とか「長寿命住宅」といったものを
考えていくには、

 大きさを揃えていくこと

が、一つの突破口となるような気がしてなりません。

西山哲雄

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2009年9月18日 (金)

長持ちする家~番外編~

こんにちは、西山です。

先日、家づくりに関する様々なメーカーが集まる催しに
お客として参加してきたのですが、
そこでもらったとある屋根材メーカーのカタログに
こんなことが書いてありました。
(以下、商品名の部分を○○○と置き換えます)

 住まいの中でも最も過酷な条件下におかれる屋根。
 常に最良のコンディションを維持するためには
 定期的な点検が欠かせません。
 ○○○では、維持管理の目安として10年後、
 20年後の基本メンテナンスプログラムを推奨。
 もちろん点検やメンテナンス作業は、
 ○○○に精通した「○○○ショップ」の専任スタッフが
 当たります。

また、別頁には、

 住宅のロングライフ化実現に向けて

 屋根のメンテナンス方法

 補修工事などにつきましては、適切なメンテナンスを
 行うため、原則建築物を建設された住宅会社様または、
 工務店様にご相談の上、
 専門業者にご依頼ください。(原則有料となります)
 補修工事をお施主様ご自身で絶対に行わないでください。

と・・・。

これはまさに、私が前々回までのブログで危惧していた、

  「この家は200年もちます」
 と保証している会社自体が、
 200年後も存在する保証はどこにもない。

というところに、そのまま当てはまります。

・・・・・・・

やっぱりこれが、良くも悪くも
日本の「ロングライフ」な住宅をめぐる現状なのだと
実感させられた日でした。

西山哲雄

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2009年9月 7日 (月)

長持ちする家~その2~

こんにちは、西山です。
変則シフトの結果、先週ブログの当番が回ってこず、
ずいぶんと久しぶりにブログを書く気がします。

間があいたうえでの前々回のつづきで申し訳ないのですが、
よろしくおねがいいたします。

~前々回のあらすじ~
 200年もつような「長持ちする家」を想定するならば、
 「手入れ」の思想なしには成り立たない。

 「手入れ」を前提に家を考えるならば・・・。

さて、「長持ちする家」を思い浮かべたときに
私が気になったのはこんなことです。

例えば、Aというメーカーが「長持ちする家」をつくったとします。

その家は、A社独自の「○○工法」で建てられており、
使用する材も、そのほとんどがA社のオリジナル製品。

最近の住宅産業においては、このようなことは
どこの会社でも見られる事態です。

よりよい工法を探ったり、他社との差別化のために
オリジナルの建材を使ったりすることは、
努力の方向として当たり前に思うかもしれません。

しかし、と私は思いました。

このようにして専用仕様・専用部材によって建てられた住宅は
メンテナンスするにしても
模様替え程度のものならいざ知らず、
主要部分に手を入れることになればおのずと、
その専用仕様・専用部材ありきになってしまうと思うのです。

つまりは、その専用仕様を理解する会社が、
専用部材を用いてメンテナンスする、と。

これはこれで、メンテナンスとして成り立っているように
思えますが、
なにせここで想定している「長持ちする家」は
200年という長いスパンで考えていますから、
このような「閉じたサイクル」は危険なのではないのかと
私は思うのです。

つまり、上記の例でいうならば、
200年の間に、
専用仕様を理解する会社が潰れてなくなってしまったり、
専用部材が「廃盤」になってしまったり、
もっといえば、
おおもとのA社自体がなくなってしまった場合に、
専用仕様・専用部材ありきのこの住宅のメンテナンスは
立ち行かなくなってしまうのではないでしょうか?

要するに、この家の「長持ち」を担保するものは、
A社であり、限られたメンテナンス会社であり、
専用部材であり、
そのうちのどれが欠けてしまっても
この「閉じたサイクル」は破綻に向かうでしょう。

・・・・・・

すごく強引に、一言でまとめてしまえば、
私の不安は、

 「この家は200年持ちます」
 と保障している会社自体が、
 200年後も存在する保証はどこにもない。

ということなのです。

つづく

西山哲雄

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