講演会

2009年5月15日 (金)

当事者意識

こんにちは、東京に1日滞在すると肩が凝る金石です。

ブログの更新がまたもや遅れましたが、
5/15(金)はとある用事で東京を訪れておりました。
その「とある用事」はこちら。

 GS連続シンポジウム2009
 『まちづくりへのブレイクスルー・このまちに生きる』
 第2回『受け継いできたもの、受け継いでゆくもの-長野 小布施町』

GSデザイン会議主催、土木学会 景観・デザイン委員会後援の
シンポジウムで、会場は東京大学工学部景観研究室。
そう、第93回小布施ッション講師の川添善行先生の研究室です。

このシンポジウムのパネリストとして、
今回当社代表取締役でもある市村次夫(株式会社小布施堂代表)と
当社取締役でもあるセーラ・マリ・カミングス(株式会社桝一市村酒造場代表)が
招かれたわけですが...
なんせシンポジウムのタイトルが
『受け継いできたもの、受け継いでゆくもの-長野 小布施町』
ときたものですから、そうれはもう...
少々無理を言って坊主頭3名も同行させてもらったというわけです。
もちろん受け継いでいく立場の人間として。

シンポジウムの内容については割愛させていただきます。
それよりも今回のシンポジウムに参加して、
少しばかり我々の紹介もさせていただいて、
さらには多くの刺激的な方々とお話をさせていただいて、
しまいには懇親会の締めの言葉までまかせていただいて、、、
と盛り沢山な内容の1日を過ごした後の個人的な感想をここでひとつ...

我々に暖かいお言葉を掛けてくださる方々は、
直接的にはこう表現しませんが、
要するに、

 お前らがこれからの小布施をつくっていけるのか?
 本当に当事者意識をもってやっていけるのか?

ということを暖かな目線から、それでいて厳しい態度で
我々に問いただしてくれていたように思います。

まぁ、実際のところ、
皆様が我々に対してどう思ったかはわかりません...
でも、少なくともこの坊主頭にとってはそのように映りました。
これは本当にありがたいことです。

で、その問いかけに対する応えはというと、

 我々がこれからの小布施をつくっていく!!

そうそうたる方々が集う懇親会の最後で
全力で大見得を切ってきたとおりです。
大見得を切ったと同時に、
本当の意味での「当事者意識」がやっと自分の中に芽生えたような気がした
金石健太

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月 5日 (木)

理想


こんにちは、西山です。

先日、ある建築家のお話を聞く機会に恵まれました。

その建築家は、いくつもの海外プロジェクトを抱え、
常に世界を飛び回っているようなかたで、
建築界では誰もが知る、正真正銘のトップランナーなのですが、
その人が、話の中でこんなことをおっしゃりました。

 自分が最初に考えていることなんてたかが知れてる
 
 
どういう意味か、わかりますか?

建築物を建てる際にはしばしば、
建築家がまとめた設計案が、
諸条件の追加や変更などにより、
変更が必要になることがあります。

このことは、建築家にしてみれば、
自分が思い描いた「理想」からかけ離れていく
ということに思えます。

しかし、彼はこう言ったのです。

 自分が最初に考えていることなんてたかが知れてる

と。そして、

 新たな制約の出現によって、
 当初の「理想案」は実現できなくなるわけだが、
 その制約を逆手にとることで、
 もっとすばらしい建築物が産まれる。

 それが本当のクリエイティブだ。

そんなことを聞いて、私は非常に感銘をうけました。

自分が考えた案を「たかが知れてる」と言えること。

そして、
制約によって「理想」をあきらめるのではなく、
まだ見ぬ「さらなる理想」を作り出す力。

大建築家の足元には到底及びませんが、
見習いたいなと思いました。

〈本日の一枚〉
Photo
綿店の前の綿花

西山哲雄

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月 9日 (火)

常滑~その1~

先週の土曜日、友人の結婚式に出席するため
名古屋まで行ってきました。

ここ数年、名古屋での結婚式に参加することがよくあり、
だいたい土曜日開催でそのまま名古屋泊となる
ものですから、
そのたびに翌日(日曜日)は、いろいろと寄り道をして
小布施まで帰ってきていました。

今回もそんな魂胆でいた私に、
まさにうってつけの企画があることを先日気付きました。


それはこちら

『焼き物の街・常滑 
―山田脩二の写真・軌跡 1963-64年シリーズより―』


なんと、
我々がいつも大変お世話になっている山田脩二さんの
写真展が常滑であるじゃないですか!

というわけで、
感動の結婚式の翌日、前日のお酒を多少引きずりながら
初めての常滑に行ってきました。


この日は写真展の最終日だったので、
日程的にはぎりぎりセーフだったのですが、
会場である、INAXライブミュージアムどろんこ館に到着してみると
なんとそこには、山田脩二さんご本人が!
丁重に挨拶した後に話を聞いてみると、
これまたなんと、この日の夕方から、
「オープニングイベント」ならぬ「クローズドイベント」ということで、
トークショーをやるとのこと。

いや~、心躍りましたね。

しかもよくよく聞いてみると、
この日はなんと、酒を断って、話をされるとのこと!!!

(山田さんを御存知ない方はこれがいかにすごい事なのか
 わからないと思いますが・・)
これを逃す手はないと思った私は、
唯一のネックが、帰宅が深夜になることだったのですが、
そんな邪念を振り払い、トークショーに参加してきました。

つづく。


001
常滑は煙突が印象的な街でした。

西山哲雄

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月21日 (火)

案ずるより産むが易し

こんにちは、西山です。

本日、
「もみじキャラバン・地域活性化応援隊派遣相談会」
というものに参加して参りました。

内容としては、政府の構造改革特区についての説明・相談と
地域活性化に関する説明・相談という感じで、
我々は、DGK@obuseのことで相談に行ってきました。

相談結果のほうは、今後のDGK@obuseに活かしていくとして、
今日はそのほかに、「地域活性化伝道師」の澤功氏による講演がありました。

澤さんは、谷中で「澤の屋」という家族旅館をされております。
現在澤の屋は、宿泊客の90%以上が外国人旅行者で、
客室の稼働率も、連日ほぼ満室という状況ということで、
外国人に愛される宿として有名になっています。

そんな澤の屋ですが、初めて外国人を受け入れたのは
昭和57年ということでした。
その頃、12部屋ある客室のうち、バストイレ付きがわずか2部屋、
かつ、全ての部屋が和室という澤の屋は、
だんだんと宿泊客離れが進んでいる状態だったそうです。

そしてついに昭和57年の夏、3日間連続でお客ゼロという事態になった澤の屋。
このままでは旅館を続けていくことはできない。
この危機をなんとか乗り越えなくてはいけない。
そんなことで考えられたのが、
「外国人旅行者の受け入れ」だったそうです。

外国人旅行者を受け入れると決めたといっても
それまでは、日本人相手の旅館だったわけですから、
英語が出来る人もおらず、
外国人向けの設備が整っていたわけでもなかったそうです。

それでもなかば無理やりに外国人旅行者を受け入れるようになり、
受け入れてみてわかったことは、

 言葉の問題は、大した問題ではなかった。

ということでした。
大抵は単語英語で通じるし、それでもダメならジェスチャーや筆談(絵)で
なんとかやれたそうです。

言語の問題よりもむしろ、
文化や習慣の違いによるハプニングに苦労されたとおっしゃっていました。

講演のなかで、澤さんがおっしゃったのは、

 外国人旅行客を受け入れる設備や環境を整えてから受け入れよう
 と思っていたら、100年経っても受け入れられない

と。
ご自身の体験に即した、大変重い言葉でした。
一歩踏み出せるかどうか、そのわずかな違いが将来を左右するのだと
思いました。

そしてこのことは、我々が今まさに始めようとしているDGK@obuseにも
いえることだなと。

我々も澤の屋精神を勝手に継承して、がんばりたいと思います。

西山哲雄

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年8月11日 (月)

暖簾が新しくなりました。

P8110616_2

こんにちは、西山です。

少し前のことですが、
内山節さんの講演を聴く機会がありました。

内山さんは、哲学者でありますが、
東京での生活とともに、
群馬県上野村にも拠点をもち、
上野村では田畑を耕す生活をなさっています。

「里という思想―自然とともに生きる」
と題されたこの日の講演では、

「里」というものに焦点を当て、話が進められました。

  昔は、魂が帰る場所として「里」というものがあった。
  「里」は集落の裏の小山のようなところで、
  死んだら帰る場所として、「里」が用意されていた。
  ムラには、人間の世界とともに、自然の世界があり、
  また、生の世界とともに、死の世界もあった。
  村人による自治意識も高く、
  そこに暮らす人々は、
  ムラに全てがあると感じていた。
  すなわち人々は、「里の民」であった。

  しかし、明治期に入り、近代化を図る政府は、
  「ムラが全て」の「里の民」では、
  近代国家として、統率がとれないと感じ、
  神仏分離令などの施策によって、
  里を解体し、人々を
  「里の民」から「国民」にしていった。

  その後、
  近代化・経済成長の果てに、
  現在では、人々は「里」を持たない生き方になってしまった。
  「里」を持たない生き方は、根っこのない生き方であり、
  安心感・安定感・豊かさに欠ける生き方である。

 
  これまでの近代化、経済成長の方法が立ち行かなくなっている今、
  私達は、新たな里をつくりだす必要があるのではないか。

というようなお話だった。

私のつたない文章力では、この程度のまとめしか出来ませんが、
実際には、様々な具体例を挙げ、「里」というものが
どのような変遷をとげてきたのかということを、
非常にわかりやすく説明されていました。

私が特に印象に残ったのは、
現代の世界を解説された部分で、

 これまでの経済成長の時代というのは、
 「量の拡大」と「質の向上」というものが、平和な関係で成り立っていた
 と信じられていた時代だった。
 しかし現代においては、
 量の拡大によって、環境破壊が進むように、
 質と量の不一致がおきている。

 これからは、
 量の世界を選ぶのか、
 質の世界を選ぶのか、
 ということになるだろう。

 
ということでした。

要するに、
量と質というのは、基本的には、両立し得ない
ということです。

しかし、過去においては、それが両立するかのように思えた時代があって、
そのようなときに通用した方法が、
現代においては、世界中で立ち行かなくなっている
ということですね。

一度成功した方法に固執してしまう気持ちもすごくわかりますが、
そういうときにこそ必要なのは、
事態を客観視することなのかもしれません。

そのためには、さまざまな切り口(補助線)を自分のなかにもっているということも
大事なのかもしれないなと思いました。

西山哲雄

| | コメント (0) | トラックバック (0)