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2010年6月15日 (火)

どうどうめぐり

手間を惜しむ手間を惜しむ手間

という言葉を思いついた今日この頃・・
こんにちは、にしやまです。

手間を惜しむ

ということは、手をかけないということで、
手を抜くということでもあると思います。
(抜き方の上手下手はあるとして・・。)

ここで惜しんだ手間を

 手間A

としますと、

 手間を惜しむ手間

というのは、
手を抜くためにあれこれと知恵を絞ったり、
うまいやり方を考えた末に、実行に移す手間のことです。

これを手間Bとしましょう。

通常は、
 
 手間A > 手間B

となるから、それが「手間を惜しむ」
ことになるのだと思いますが・・

私は思うのです。

手を抜くことを考える手間が結構手間だということは
なかろうかと。

ひょっとして、手間Aを惜しまずにこなしてしまったほうが、
結果的に手間をかけないことにならないだろうかと。
全てではないと思いますが、そういう場合も
多々あるのではないかと。

つまり

 手間A < 手間B

ということです。

であれば、

 「手間を惜しむ手間」を惜しむ

のが得策かと。

そう思うのですが、どうでしょう?

西山哲雄

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2010年5月 7日 (金)

小布施ッション 106 唐木さち

こんにちは、にしやまです。

先日の小布施ッションは講師に花人・唐木さちさんを迎え
盛大に開催されました。

そして今回はなんと、特別ゲストとして唐木さんのお花に
大変な感銘を受けられたという片岡鶴太郎氏が
サプライズ登場され、会場はおおいに盛り上がりました。

講演は後半、対談形式で進みました。

唐木さんの発する一言に、鶴太郎さんが言葉を沿え、
鶴太郎さんの言葉によって、唐木さんのお花の世界が
よりいっそう鮮明なものとして、聴衆に伝わる。

それにしても、鶴太郎さんの感性のなんと細やかなことか。
花と向き合う唐木さんのささいな仕草も見逃さず、
それを適切な言葉に置き換え、表現していく。
その力は本当にすごいなと、感銘を受けました。

パーティー会場は唐木さんの生けられたお花で彩られ、
過去最多ではないかという参加者のあった
5月の小布施ッションは、大盛況のうちに幕を閉じました。

Photo
花つながりで。
達磨窯をつくるために穴を掘った時に
窯場の片隅に盛った残土から、
名の有る草が生え、花が咲いた。
なんとものどかな風景。

西山哲雄

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2009年10月23日 (金)

もつもたない、つかうつかわない

建物をつくるとき、
我々の手で全ての作業を行うことは、
技術や資格や日程の問題などで
不可能なので、
様々な職人さんに、様々な工事をお願いします。

お願いするときに大事な事は
お金のことや会社の規模など、いろいろあると思いますが
そのなかで、「技術の問題」というのもあります。

古民家再生など、古い建物を扱う場合にはとくに、
「職人の腕」によって、その出来が左右します。

ということは、お施主さんや我々としては、
できるだけ腕のいい職人さん、技術をもつ職人さんに
仕事をお願いしたいというのが本音であり、
そういった人を探すことが我々の仕事でもあるわけです。

そんな中で最近、気づいたことがあります。それは、

職人は「技術を持つ職人」と「技術をもたない職人」
には分けられない。

ということ。
さて、どういうことか。

X・Y軸のあるグラフを思い浮かべてください。
横のX軸を「技術」軸とします。
右へ行くほど、技術を持つ職人ということです。

そして、縦のY軸を「使用」軸とします。
上に行くほど、自分のもつ技術を使う職人ということです。

これで4つのタイプ分けができたことになります。

 ①右上:技術を持ち、それを使う職人

 ②右下:技術を持つが、それを使わない職人

 ③左上:技術は持たないが、それを使う職人

 ④左下:技術を持たないので、それを使うことのできない職人

こうして分類してみると、厄介な存在に気がつきます。

 
それは②タイプ。
できればこういう職人にも、仕事はお願いしたくないのですが、
一つ救いなのは、
技術というのはある程度客観的なもので、
一朝一夕には「持つ」ことはできないけれど、
使う使わないは、職人のやる気などによって左右されることも
あるということです。

ですから我々が、職人にとって技術の使い甲斐のある「桧舞台」
を用意することができればきっと、
②から①へと変わる職人もいることでしょう。

そういう仕事も、時には必要になるのだと、思います。

西山哲雄

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2009年10月19日 (月)

茅場@木島平2009

こんにちは。ここ数日で見事にリバウンドした、土屋です。

さて、先日、木島平の茅場の様子を見てきました。

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上の写真が今年の写真で、
下の写真が昨年の11月中旬の写真ですが、
比べるとまだ茎も葉も青々としていて、
刈り取りまでにはもうしばらく時間がかかりそうです。

見に行った際、この土地の持ち主のおばあさんに、
この土地について、いろいろ伺うことができました。

終戦後、中国から帰ってきたおばあさんとご主人が、
もともと山だった電気もきていないこの土地で、
ランプ生活をしながら何年もかけて開墾をしたそうです。
重機や耕運機が満足になかっただろう時代に、
これだけの面積を開墾するのはどれだけ大変だったことか、
容易に想像がつきます。

そして、いろいろな作物つくりに挑戦し、
この辺りでいち早くズッキーニの栽培などもしていたそうです。

現在、おばあさんは一人暮らしで、
冬場の間だけは雪が多いため、この土地を離れるそうですが、
決して利便性のよくないこの土地に住み続けているのは、
この土地への愛着や思い入れが強いからだと思います。

この土地で茅を刈り取らせてもらえることに感謝するとともに、
ここで刈り取られた茅がどういった建物に、
どのように使われたのか伝えることで、
少しでもおばあさんに喜んでもらえたらと思います。

土屋 直人

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2009年10月 9日 (金)

大きさを揃えること

こんにちは、西山です。

先日、自分が使っている電卓と携帯電話のサイズが
ほとんど同じ大きさだということに気づきました。

001_2
002_2
こちらがその写真。
こちらがその写真。
すこしわかりにくいですが、
どちらの写真とも、
黒い携帯電話の上に、白い電卓が乗っています。

厚みこそ違うものの、
平面的なサイズはほぼ一緒です。

おそらく両者をデスクの上においた状態で作業していて
何かの拍子に重ねてしまったところ
この事実に気づいた
ということだと思うのですが、記憶が定かではありません。

しかし、このことに気づいたときには、
なんだかうれしかったですね~。

そのことだけはよく覚えています。

上記のことは、

 両社のデザイナーが意図的にサイズをあわせた

ということではなくて、
純然たる偶然の出来事であるとは思うのですが、
物のサイズをあわせていくということは、
様々な可能性を秘めていると思います。

現在取り組んでいる再生の現場では、
お施主さまが、壊されてしまう古民家などから
譲り受けた床板や木製建具を
出来る限り再利用することを試みているのですが、
ここで大切になるのが「サイズ」であると、
身にしみて感じました。

民家は基本的に尺貫法に則ってつくられていますから、
床板などを再利用する際には、
長さを調節することなくそのまま使うことができるわけです。

また、建具にしても、
幅は尺貫法に基づいた柱間隔によって、
いくつかのバリエーションに大別することができますし、
高さにしても、「五八(ごはち)」と呼ばれるような
5尺8寸という高さが一つの基準となっていますので、

 あっちの建物から持ってきた建具をこっちのたてものへ

ということが、何の不都合もなく、簡単に出来てしまうわけです。

再利用に耐えうるだけの丈夫なつくりであるとか、
無垢材を使用しているだとか、
他にも重要な要素はありますが、
これからの「持続可能な社会」とか「長寿命住宅」といったものを
考えていくには、

 大きさを揃えていくこと

が、一つの突破口となるような気がしてなりません。

西山哲雄

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2009年10月 1日 (木)

知恵と知識

知識よりも知恵を身に付けたいと
常日頃思っている。

ある時代まではきっと、
知識の絶対量が賢さの象徴であったのかもしれない。
しかし今や、インターネットという、
誰もが簡単にアクセスできるところに
それこそ膨大な量の知識が蓄えられているので、
ほしい知識はそのつどそこから得られ、
自分の頭のなかにどれだけの知識があるかということは
あまり問題ではなくなった
と言えるのではないか。

前回のブログでも少し書いたが、
先日の高野登氏の講演会の際に、高野氏が

 現代は、量の争いをしても何もかわらない世界に
 なってきている。
 これからは量ではなく、質の勝負になる。

という話をされていて、水を例にとり、

 水は0℃~99℃まではただ熱い水になっていくだけだが、
 99℃からたった1℃上がって100℃になると、
 水は蒸気となり、動力になりうる。

 つまり、0℃~99℃までは量の争いであるのに対し、
 99℃から100℃への変化というのは、
 質の変化である。

と。そして、

 量を変えるのは、知識の勝負であるが、
 質を変えるのは、知恵の勝負だ。

とおっしゃっていた。

私はこれに、激しく同意する。

最近、知恵の塊のような素晴らしい人と出会うことが
頻繁にあり、なおさら知恵の大切さを実感している。

辞書にはこうある。

 【知識】
 ものごとについて知っていること。
 また、わかっていることの組織的な内容。

 【知恵】
 ものごとの道理をわきまえ、正しく判断したり、
 適切に処理したりする能力。

 (大野晋『角川必携国語辞典』871頁、866頁引用)

この説明にはまいった。

ある事態に遭遇したときに、
過去に同じ事態に遭遇していれば、
知識というのは役立つのかもしれない。

しかし、未曾有の事態に遭遇したときに、
頼りとなるのは知識ではなく
知恵ではないかと、私は思い至っていたからだ。

古い建物を繕う仕事をしていると、
セオリー通りにはいかない事態に遭遇することが
しばしばある。

そういうときに頼りとなるのは知恵であると、
最近、立て続けに実感した。

だから私は、
知識よりも知恵を身に付けたいと
思っている。

西山哲雄
 

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2009年6月29日 (月)

小布施まちづくり大学

こんにちは。最近、虫に刺されたところが治りにくい、土屋です。

さて、本日開かれた平成21年度小布施まちづくり大学、
第1回の講義を公聴してきました。
この「小布施まちづくり大学」は昨年度から開催され、
昨年度は前6回の講義が開かれました。
「小布施まちづくり大学」について、詳しくはこちらをご覧下さい。

ということで、今回の講師は高谷基彦さん。
京都市都市計画局都市景観部長をされている方で、
平成19年9月より実施されている、京都の新景観政策について、
説明してくださいました。

この新景観政策、詳しくはこちらをご覧頂きたいと思いますが、
5つの柱と支援策によるものだそうです。
その中でも、私が一番興味深かったのが、
眺望景観や借景を守るために制定された、
全国でも初となる「京都市眺望景観創生条例」というものです。

「眺望景観」とは聞き慣れない言葉ですが、

 ある視点場(景観を見る地点、展望台など)から視対象(眺められる
 対象物、山や海など)を眺望したとき視覚で捉えられる景観(引用

だそうです。そして、この条例というのが、
文献や市民の意見597件の中から、38箇所を選定し、
その眺望景観・借景の保全を図る、というものです。

今までの景観政策というと、町並みの高さやデザインを制限したり、
歴史的に重要であったり、景観が優れている建物を保全したりと、
建物単体、あるいはその町並みに対して基準を設ける、
というものがほとんどだと思います。

しかし、この眺望景観という考え方においては、
ある建物から見える景色、
ある町並み越しに見える景色について基準を設けるため、
これまでの政策からもう一歩踏み込んだ政策であると思います。

今後は、この眺望景観という考え方が広く取り入れられていくでしょうし、
また、取り入れられていくべき考え方であると思いました。

さてさて、次回の「小布施まちづくり大学」は、
8月3日(月)の開催予定だそうです。

土屋 直人

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2009年3月 2日 (月)

たべかた つくりかた

こんにちは、西山です。

・先日、『いのちの食べ方』という映画を見ました(DVDで)。

  牛、豚、鳥などの肉類や魚、そして野菜といった
  普段我々が口にする食材が、どうやってできているのか?
 
 簡単に言えば、それを追った映画です。

 普段食べているものが、
 どうやってつくられているのかを知らないということは、
 考えても見ればすごいことだなと思いますが、
 それが現実ですよね。

 牛や豚といった生き物が、「牛肉」「豚肉」という食材に
 なっていく過程が描かれているので、
 そこには思わず目を背けたくなるようなシーンも出てきます。

 要するに、屠畜のシーンです。

 スーパーでパック詰めの食肉を買うことができるのは、
 自分が手を下す代わりに他の誰かがその作業を
 (しかも大量に)やってくれているおかげだということは、
 少し考えればわかるわけですが、
 普段そこまで想像が及びませんよね。
 (少なくとも私は想像したことありませんでした・・)

 でもこの映画を見て、
 「食の背景」を少しだけ知ることができました。

 たかが、映像を通して知っただけのことかもしれません。
 そして、「体験すること」には遠く及ばないことでしょう。

 ですが、たくさんの「忘れがたいもの」をこの映画から
 いただいたと思います。

 

・衣食住というくらいですから、
 「食の背景」とともに、「住の背景」も大事だと思います。

 食の例ほどではないかもしれませんが、
 住の世界も、特に最近の建築物は、
 どうやってつくられているのか
 わからないことが多いように感じます。

 過去のブログでも散々書いていることですが、

  背景を知る

 ということを大切にしていきたいと、
 『いのちの食べ方』を見て、改めて思いました。

〈本日の一枚〉

Photo
これ、なんだかわかりますか?
模様に見えますが、これでも立派な建築材料です。

西山哲雄

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2009年2月25日 (水)

メンテナンスのおと

こんにちは、西山です。

今日の結論は

 「見せるメンテナンス」には音は禁物

です。

さてさて・・・

先日、といっても少し前のことになりますが、
ほぼ一日中、落ち葉を拾っていたことがありました。

一日中拾うほど大量の落ち葉が・・
と思われるかもしれませんが、そうではなくて、
落ち葉をもたらす大きな木の下に、
低木や笹の類が植えてありまして、
そこに落ちた葉っぱを集めようとしていたわけです。

ですから、
ホウキで一気にあつめて・・というわけにはいかなくて、
仕方ないので、地道に手で落ち葉をかき集めてはゴミ袋へ・・
ということを延々と繰り返していたわけですが、
落ち葉をひろい続ける中で、

 人間の手は、なんてよくできているのだろう。

と、いまさらながらに感心してしまいました。
というのも、

 笹の間に挟まった落ち葉をまずは笹ごと手で掴み、
 そのまま持ち上げてしまうと、笹を傷めてしまうので、
 そうならないように、指の間から笹をうまく逃がしながら
 笹と一緒に落ち葉がこぼれないようにうまく調節しつつ、
 落ち葉を掬い取る

なんていう言葉ではとても説明しずらい芸当を、
たいしたことだと思わずに、やってのけているわけです。

しかし考えてみたですね、それを機械や道具でやろうとしたって、
なかなかできないと思いませんか。

熊手のような道具でやろうにも、
はかどらないことは容易に想像できます。

いろいろ考えて、一番有効であろうと思われるのは、
以前お寺掃除の例でとりあげた、
「ブロアー」を使って、落ち葉を吹き飛ばし、
ひとところに集めるという方法ではないかと。

これなら、木の間に挟まったような落ち葉でも、
割合簡単に集めることができそうですし、
現に、そのようにして公園等の落ち葉掃除をしているのを
見かけたことがあります。

ただ・・・、

音がうるさいんですよね。
ブロワーも機械ですから、「ぶぉー」という作動音がするわけです。

便利なのだから、
音ぐらいいいじゃないかという気もしないのではないですが、
かねてよりどうもこの点が引っかかっていました。

それ以来この問題が引っかかっていたのですが、
「見せるメンテナンス」を考えるようになって、
自分なりの答えが出せた気がします。

つまり

 「見せるメンテナンス」には音は禁物

ということ。

庭を掃く禅寺のお坊さんも
壁を磨くホテルのスタッフも、
余計な音を出していないからこそ、
それが「見せるメンテナンス」として有効なのではないか?

と思い至ったわけです。

厳密に言えば、
掃き掃除の時には竹箒が砂利をこする「シャーッ、シャーッ」
という音がするでしょうし、
拭き掃除であれば時折「キュッ、キュッ」という音が
するかもしれません。

でもそれらの音は、その作業における「本来の作業音」なのかな
という気がしています。

「本来の作業音」をうまく説明できないのですが、
例えば、丸太を輪切りにするとして、

 ①ノコギリを使う場合

 ②チェーンソーを使う場合

をイメージしてみてください。
①の場合はいわゆる「ノコギリで木を切る音」がします。
しかし、②の場合聞こえてくるのは
チェーンソーの刃を回転させるためのエンジン音です。

もし無音のエンジンというものがあれば、
②の場合でも、チェーンソーの刃ば木をとらえていく音
が聞こえるのではないでしょうか。

その音こそが、「本来の作業音」だと私は思うのです。

そして、「本来の作業音」を伴う作業であれば、
人目にふれる場合においてもそれは
「見せるメンテナンス」として通用するのではないのかな?

それが今現在の、私の結論になっています。

西山哲雄

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2008年7月 1日 (火)

いざ、秋田。その8

こんにちは。先日、髪の毛を切ったら「大仏さんみたい」と言われ、
すれ違う人に拝まれたらどうしようと不安になっている、土屋です。

さて、案内していただいたのは樹齢230年の大杉が立ち並ぶ杉林。
杉林に入るや否や、片面だけが枝打ちされた木が並んでいました。

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これらの木は、土地の境界を示しているそうで、
この木を境に枝のない方が私有地であることを示しているそうです。
そして杉林を奥に進むと、直径7~80cmはある大径木がずらり。

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秋田でも感じたことですが、杉林の中は思っていたより明るく、
下草がとてもきれいに生えています。
また、とても涼しくてなんだかすがすがしくて、
一日中でもいたいくらい、本当に気持ちがいいんです。

先ほどの境界を示す木もそうですが、
ここでもまた新たな補助線を教えていただきました。
まず、品種の見分け方です。
以前、秋田杉には播種ブレンド6種類がある、
と書いたのを覚えているでしょうか。

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分かりにくいかもしれませんが、この写真をご覧ください。
樹皮の色や模様が違う木が混ざっているのが分かるでしょうか。
播種ブレンド6種には、すべて「~ハダ」と名前がついているように、
樹皮の色や模様によって見分けることができるそうです。
ちなみに上の写真、手前中央の木は「アミハダ」、中央奥の木は「シロハダ」、
下の写真、右側の木は「マツハダ」、左側は「アミハダ」という具合で、
種類によって、木の硬さや色合い、素性に特色があるそうです。

次に、製材することを考えた見方です。

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左側の木は根元が広がっているのに対し、右側の木は根元までシュッとしています。
この2本の木を比べると、右側の根元までシュッとした木の方が、
木目の整った素性のいい材木がとれるそうです。

この後も、いくつかの杉林を案内していただきました。
中には樹齢300年を超える大径木もあり、秋田のとき同様圧倒されっ放しでしたが、
いくつかの補助線のおかげで、杉林全体だけではなく、
一本一本の木に目を向けるようになり、杉林あるいは杉の見方が変わった気がします。

我々の手元に材木として届く杉が、どのようなところでどのように生えているのか、
そして、どのように製材され材木となるのか、今まで見えなかった部分を、
今回の旅では実際この目で見ることができ、本当に貴重な体験となりました。

さてさて、秋田~山形の旅は、もう少し続きます。

土屋 直人

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