土壁

2009年12月21日 (月)

スス

こんにちは、畳の縁(へり)と格闘中の金石です。
それについては後日報告...

先日、ドラム缶で火を焚く機会があったのですが、
そのときに使った鍋底を洗っていてある発見がありました。

おそらくご想像に難くないと思われますが、
ドラム缶で火を焚いている上に網を載せて、
その上に鍋を直接置くため、
鍋底は煤で真っ黒になります。

Img_4950

こちらがその鍋底。
絵に描いたように真っ黒になります。

さて、写真をよくご覧ください。
写真右側が私がタワシで擦った後に水をかけた状態。
写真左側が焚き火後手付かずの状態。
両者の違いがわかりますか?

Img_4952

さらに寄るとこんな感じ。
タワシで擦った右側の表面は水に馴染むのに対し、
煤だらけになったままの左側は物凄く水を弾いています。

詳しいことはよくわかりませんが、
鍋底に付着した煤が影響していることは間違いなさそうです。

ナンデダロウ??

当たり前のようにも思えますが不思議です。
薪木の油分が含まれているからでしょうか?
でも、タワシで水洗いしただけで水に馴染むというのも
どうも腑に落ちないものがあります。
洗剤を使ったというのならまだ納得できますが...

そういえばこんな水の弾き方を他でも体験したことがあります。

1.古い土壁を土間に撒いて、その上に水をかけたとき
2.松煙・ベンガラの粉に水を垂らしたとき

いずれも私の予想に反して、
水が小さな玉となって表面に弾かれていたことを思い出します。

これはあくまで素人的な直感ですが、、、

今回の煤もこれらの事例も、
表面の微細な粉が影響しているような気がします。
粉同士の隙間の大きさと水の表面張力の関係とでも言いますか...

なんだかそんな類の現象じゃないかと思うのですが...

残念ながら私の知識では解明できません。
どなたか詳しい方がいらっしゃいましたら御一報ください。

金石健太

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月 4日 (水)

たたく、たたく

こんにちは、西山です。

先日、三和土を施工しました。

それも、「たたきもどき」ではなく、本物の「たたき」
左官職人にやり方を教わり、文字通り、たたいてきました。

三和土と書くくらいなので、材料は土、石灰、苦汁。
あらかじめ土と石灰を混ぜておき、苦汁をいれながら
あとはひたすら
002_4

001_3

 たたく、たたく、たたく、たたく、たたく、たたくたたくたたく・・・

 この道具は「たこ」という名前です。
 ちなみに「いか」という名前の道具にはまだ
 出会ったことがありません。

なかなかの肉体労働でしたが、
おかげで立派な三和土の土間ができました。
これまた勘所をつかむことができれば
素人にも出来る作業でした。

只今修景事業では、
三和土製作依頼、絶賛受付中です!
あなたも一緒にたたきませんか?

しかし、何回叩いたことだろうか・・。

西山哲雄

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月28日 (水)

すくなくゆっくり

このところ取り組んでいるある建物の再生の仕事の現場では
できるかぎりお施主さんにも作業に参加していただいています。

その建物では、
崩れ落ちた土壁の木舞を補修し、
新たにベトを塗りなおすという作業を
お施主さんにやっていただいたのですが、
私が一通りやりかたを実践してみせただけで、結果、
立派な左官職人が誕生しました。

木舞を掻くのは奥様のほうが得意で、
ベトを塗るのはだんな様が得意と、
見事な分業体制で、
壁を仕上げていく様はとても見事なものでした。

少しの指導により、素人でもできるようになり、
基本を教えただけで、それを状況にあわせて応用することも
容易であるということ。

全てがそうだとはいえませんが、
古い建物をとりまく技術は、
プロでない人の参加を前提としたものが多く、
そういった意味では、
セルフビルド的な志向には向いているのかもしれません。

なによりお二人が楽しそうに作業している姿をみることができて
こちらも感無量でした。

出来上がりも十分に壁として機能するもので、
「綺麗さ」「平滑さ」といったところで勝負すれば
プロには到底及びませんが、
逆にプロには出すことの出来ない「作為のない痕跡」にあふれた
とても魅力的な壁になったと思います。

もうひとつ、プロとの違いは「スピード」。
速さで勝負すれば熟練の手には敵いませんが、
「スピード」が問題になるのは、それがコストに直結するからです。
しかし、自分達の手やれば、「ゆっくり」でもかまわないし、
一度に沢山の面積に手をつけようとしなければ、
膨大な作業量と作業時間に気が遠くなることもないでしょう。

だからだいじなのは、

 すくなく、ゆっくり

ということだと思います。

西山哲雄

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年9月10日 (木)

長持ちする家~その3~

こんにちは、西山です。

誠に恐縮ではありますが、
今回も前回の続きとなります。

・・・・・・

前回の最後にこんなことを書きました。

 「この家は200年もちます」
 と保証している会社自体が、
 200年後も存在する保証はどこにもない。

と。
各企業がそれぞれの工法や素材を追い求める中で、
この事実は、意外と重いものであるように思います。

要するに、
メンテナンスさえすればまだまだ使える家が、
それを担う企業がなかったり、
または必要な材料が手に入らなかったりすることで、
壊してしまわざるを得ない状況に
追い込まれてしまうことが起きるのではないか?
ということです。

では、そうならないためにどうすればいいのか?
それは、歴史が教えてくれる気がします。

昔(といってもひと昔程度の昔ですが・・)は、
家は、その土地にある材料を使って、
その土地の気候風土に合わせてつくられていました。

それはみなさんご存知かと思いますが、
なにせ昔は、身近にある材料といっても、かなり限られていました。

土、木、草、・・・そんな自然素材を使うしかなかったわけです。

そして、つくりかたにしても、
限られた素材を使ってその土地の気候に合わせなくては
いけませんでしたから、突飛なことはできません。
その結果、
ある範囲の土地では、どれも同じような工法による、
同じような格好の家が並ぶことになるわけです。

昔はただ「結果として」そうなったわけですが、
今と比較して考えれば、
昔は材料と技術の両方が、地域の職人によって共有されていた。
ということが言えるのではないかと思います。

だからたとえば、その家をつくった職人がいなくなってしまっても、
その土地の職人ならばだれでも、
その家のメンテナンスを引き継ぐことができたはずです。

・・要するに、

 地域として
 「この家は200年もちます」
 ということを担保する

ということが、成り立っていたのではないかと思うのです。
で、もしそうであるならば、これは、

 個人や企業として
 「この家は200年もちます」
 と担保する

ことに比べて、圧倒的に安定感があるのではないかなと
私は思います。

みなさんは、どう思いますか?

西山哲雄

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年9月 7日 (月)

長持ちする家~その2~

こんにちは、西山です。
変則シフトの結果、先週ブログの当番が回ってこず、
ずいぶんと久しぶりにブログを書く気がします。

間があいたうえでの前々回のつづきで申し訳ないのですが、
よろしくおねがいいたします。

~前々回のあらすじ~
 200年もつような「長持ちする家」を想定するならば、
 「手入れ」の思想なしには成り立たない。

 「手入れ」を前提に家を考えるならば・・・。

さて、「長持ちする家」を思い浮かべたときに
私が気になったのはこんなことです。

例えば、Aというメーカーが「長持ちする家」をつくったとします。

その家は、A社独自の「○○工法」で建てられており、
使用する材も、そのほとんどがA社のオリジナル製品。

最近の住宅産業においては、このようなことは
どこの会社でも見られる事態です。

よりよい工法を探ったり、他社との差別化のために
オリジナルの建材を使ったりすることは、
努力の方向として当たり前に思うかもしれません。

しかし、と私は思いました。

このようにして専用仕様・専用部材によって建てられた住宅は
メンテナンスするにしても
模様替え程度のものならいざ知らず、
主要部分に手を入れることになればおのずと、
その専用仕様・専用部材ありきになってしまうと思うのです。

つまりは、その専用仕様を理解する会社が、
専用部材を用いてメンテナンスする、と。

これはこれで、メンテナンスとして成り立っているように
思えますが、
なにせここで想定している「長持ちする家」は
200年という長いスパンで考えていますから、
このような「閉じたサイクル」は危険なのではないのかと
私は思うのです。

つまり、上記の例でいうならば、
200年の間に、
専用仕様を理解する会社が潰れてなくなってしまったり、
専用部材が「廃盤」になってしまったり、
もっといえば、
おおもとのA社自体がなくなってしまった場合に、
専用仕様・専用部材ありきのこの住宅のメンテナンスは
立ち行かなくなってしまうのではないでしょうか?

要するに、この家の「長持ち」を担保するものは、
A社であり、限られたメンテナンス会社であり、
専用部材であり、
そのうちのどれが欠けてしまっても
この「閉じたサイクル」は破綻に向かうでしょう。

・・・・・・

すごく強引に、一言でまとめてしまえば、
私の不安は、

 「この家は200年持ちます」
 と保障している会社自体が、
 200年後も存在する保証はどこにもない。

ということなのです。

つづく

西山哲雄

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月 4日 (木)

はてるかかけるか

さいきん、
「朽ちる」という言葉に、親近感をもつようになった。

普通この言葉は、いい意味で使われることは少ないと思う。
ほとんどないといってもいいかもしれない。

私は、

 なかから小石や藁などが顔をだして、味わい深い表情
 となった土蔵の壁

 年輪の夏目の部分が削り取られ、
 冬目が残ってその表面に深い陰影を蓄えるようになった
 板壁や雨戸などの木部

 苔むした瓦

 草が生えてきた茅葺屋根

 ・・・・・・

といったものに心惹かれるのだが、
こういったものたちはいわば、程度の差こそあれ
いずれも「朽ちる」過程にあるのではないかと思うようになった。

もしそうなのであれば、「朽ちる」ということは
あながち悪いことばかりではなさそうだ。
 

辞書で「朽ちる」を調べてみると、

[朽ちる]
①木が腐って、形が崩れたり、役に立たなくなったりする。
 「朽ちかかった家」
②(名声などが)すたれる。「その名は永遠に―ことはない」

(大野晋 田中章夫 編『角川必携国語辞典』373頁)

とあった。

建築物やその構成要素に対して使う場合は、①の意味であろう。

隣のページには、「朽ち果てる」という言葉が載っていて、

[朽ち果てる]
①すっかり腐ってしまってしまう。
②世に知られることなく死ぬ。「片いなかで―」

(大野晋 田中章夫 編『角川必携国語辞典』372頁)

という解説がなされていた。

朽ち果ててしまったものにも心惹かれることはあるし、
果てた美というものも確かにあるだろう。

しかし、朽ち果ててしまった建物はもう
ただそこにあるだけで、
建物としての用途は果たさない。

そして、元のように戻すこともできず、
残された時間の経過を緩やかにしてやることも、
多くの場合できない。

ようするに、あとは土に還っていくのを見守るしかない。

「朽ちる」ことでうまれる美があるとするならば、求められるのは

  「朽ちかけた」状態を保つこと

かもしれない。

決してはてることなく、かけつづけること。

「朽ちかける」という言葉は、辞書にありませんでしたが・・。

Photo

西山哲雄

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月28日 (木)

泥団子づくり経過報告

こんにちは、近所の子供と仲良しな金石です。

先日、我が家の庭で「泥団子づくりワークショップ vol.2」を開催しました。
といっても、そんな大げさなものではなく、
私が庭先で先日報告した泥団子づくりの続きをしていたところ、
道路で遊んでいた近所の子供達が
興味を示して集まってきたというわけです。

幼稚園児から小学生まで、
男の子も女の子もみんな先程までの遊びをやめ、
私の手元を不思議そうに見つめています。

 みんなも粘土で遊んでみる?

こう問いかけると少し戸惑いながらも首を縦に振る子供達。

あぁ、そうか。
粘土遊びなんて子供は喜ぶかもな...
それにしても、世代を超えて
こんなにも人間の心を惹きつける粘土ってスゴイ。

そんなわけで前回余した粘土を水で捏ねて
好きなように遊んでもらいました。
すると、みんな真剣な顔をして丸いお団子を作り始めます。

 これって乾くと硬くなるの?

と聞かれ、「そうだよ」と前回作った泥団子を手渡すと
ビックリした様子で「本当だぁ」と目を輝かせています。
そしてこの会話を最後に皆沈黙...
真剣に手のひらの上で粘土の塊をゴロゴロとやっていました。

考えてみれば、この子達の「粘土」って、
幼稚園や小学校で使う「油粘土」なんですね。
私もこういう分野に足を踏み入れるまではそうでしたが...

さて、子供達の登場で諦めかけていた私の泥団子作りですが、
皆真剣に手を動かしてくれたおかげで、
思いがけず作業を続けることができました。

前回は荒壁土を丸めて下地となる団子を作りましたが、
今回はその上に砂漆喰を塗ります。
前回の粘土同様、現場で出た残材の漆喰と
子供の砂場から拝借した砂とを1:1の分量で混ぜて、
砂漆喰のできあがり。

フィルムケースの口の部分でグリグリと丸くして...

Img_2508

こんな感じに仕上がりました。
これに今度はノロ(粘土を水でドロドロに溶いたもの)を塗って
できあがる予定です。

ちなみに30分も経てば子供達の泥団子も次々と完成してきます。
小学生だとフィルムケースを使ってまん丸にしたり、
表面を磨いたりできるみたいです。

で、他にも何か作って!
とお願いされ、リクエストされた作品がこちら。

Img_2510

こんな顔だったっけ???

金石健太

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月19日 (火)

廃番 

こんにちは、西山です。
突然ですが、
粘土が廃番になってしまうって知ってました?

・少し前にこのブログで「ロングライフ建築」と題して
 
  この世から土がなくならない限り、壁土はなくならない

  だから土壁は、いつまでも修繕することができる

 というようなことを書きましたが、
 それと時を同じくして、
 ある陶芸家のかたと話す機会がありました。

 
 我々もこれから瓦という焼き物を焼こうという身ですので、
 質問することといえばおのずと、
 材料となる粘土の産出場所や窯の種類、
 焼成方法など・・になるわけです。
 
 
 そんな会話のなかで、そのかたがおっしゃっていたのは、
 
  (陶芸用の)粘土が廃番になってしまう

 ということでした。

 陶器の場合、壁土とはちがって、
 どんな土でも成立するというわけではないので、
 粘土が商品として取引されることはごく自然の流れだと
 思いますし、その様な状況は知っていたのですが、
 
  粘土が廃番になってしまう

 ということは、思ってもみませんでした。また、

  「粘土」

 という響きと、

  「廃番」

 という響きの組み合わせに、
 書籍やCDと粘土が同列に扱われているようで、
 かなりの違和感を感じました。

・廃番粘土の話に違和感を感じたのは、
 茅葺きの工事に関わるようになり、
 茅が商品として扱われる様を見てきたからかもしれません。

 茅に限らず、一昔前までの家は
 身近にある材料を利用して作られていたので、
 そこには、「商品」「流通」「廃番」・・なんていう言葉は
 存在しなかったはずです。

 材料は、そこらにあるわけで、「廃番」になんかなりっこないし、
 自分で調達すればいいだけの話ですから。

 それに対し
 現代の家づくりは、よくもわるくも、「商品」ありきだと感じます。
 自分たちで材料をそろえるかわりにそれが、
 商品としてやってくる。

 「商品」を組み合わせて家がつくられる。

 「商品」に頼る以上、「廃盤」の可能性は常にあるわけで、
 「廃番」というかたちで材料や部品の供給を絶たれてしまえば、
 増改築や修繕の際に、困ることは目に見えています。

 
 長持ちする家をつくるには、

  できるだけ「商品」にたよらないこと

  「商品」が「廃番」になる可能性を見越し、代替品での対応を
  可能にしておくこと

 そんなことが大事なんではないかと思うのですが、
 どうでしょう?

西山哲雄

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月14日 (木)

おもいこみ

こんにちは、西山です。

古い建物に携わる仕事をしていることもあり、
どこかに出掛けても、
自然と、古民家や古い土蔵、伝統的な町並みに
目がいくことが多いです。

そういった伝統的なものは動もすれば、
ありきたりでつまらないものとみられてしまうことも
あると思いますが、
よく目を凝らしてみてみると、意外と面白かったりします。

001
ランダムに並んだ、開口部。
丸あり、正方形あり、長方形あり、、
板戸あり、障子あり、格子あり・・

形も素材も高さもばらばらですが、
絶妙なバランスによって、美を放っています。

002
出入り口です。
写真ではわかりづらいですが、
この開口部、幅が大分細いです。
たぶん、肩幅より狭いです。

いまではこんなに細い出入り口にはなかなか
お目にかかることは出来ません。

そこにはたぶん、

 人が容易に通り抜けられるように

という配慮があるのだと思いますが、
そんな配慮がいつのまにか「常識」になって
我々を必要以上に縛っていやしないかと、
この開口部は語っているように思えました。

002_2
土塀です。
先日のブログでもとりあげたように、
土壁から瓦や小石が顔を出すのはよく見かけるのですが、
こちらは、大きな石です。

001_2
よく見ると、石積みの上に土を塗っているようだということが
わかります。
こんな土塀、いままで見たことがありませんでした。

002_3
古い建物で、よくびっくりするのが、
梁が何重にも飛び交う小屋組です。

001_4
縦横だけならまだしも、

001_5
003
斜め材が入ったり、材自体が激しく曲がってたりすると
もうなにがどうなっているのか、
理解するのが大変です。

先人達は、今よりもはるかに限りある材料のなかで、
あるものをつかい、材の曲がりを生かし、
このような空間をつくったのだと思うと、
本当に頭が下がります。

こういうのを見ると、決して
 
 古いもの=退屈

なんてことはないなと思います。

むしろ、
 
 古いもののほうが斬新で面白い

そんな仮説をもって周りのありふれた(と思っている)ものを
見てみると、面白いと思います。

西山哲雄

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月12日 (火)

球体の泥団子

こんにちは、最近何かと粘土と接する機会の多い金石です。

さて、泥団子づくりの経過報告です。

手でピンポン玉大に丸めた荒壁用の粘土ですが、
半日乾かすと表面はザラザラとしてきて、
少し前まであったグニュっとした粘土特有の感触はすっかりと何処かへ...

そうなってきたところで整形作業開始。
ホールソーの刃(鋸刃が円筒状になっているもの)を
泥団子の表面に当てながらグリグリと撫で回すと、あら不思議!?
余計な凸凹が削り落とされて球体になります。

とはいえ、そもそもは荒壁用の粘土ですから、
繋ぎ材として短く刻まれた藁がたくさん含まれています。
当然、表面を削るとそれらがあちこちに顔を出しますので、
実際には球体の粘土から藁がピョンピョンと跳ね出した状態ですが...

で、最後にその跳ね出した藁をバーナーの火で焼くと、、、

Img_3593

泥団子の下地材の完成~っ!!
(結構まん丸な球体になります。)

それにしても、ホールソーの刃だとか、ビンの口だとかで
泥団子の表面をグリグリ撫で回すと球体ができるんですね。
知っていればなんてことないことですけれども、
今まで気付きもしませんでした...

この球体を作る作業、
大人がやってもちょっと感動しますよ。
粘土(淡路産)だけを使って試作した正真正銘「泥団子」は、
薬のビンやフィルムケースの口でグリグリやったら
かなりの精度で球体に仕上がりました。

Img_3594

この技術を子供の頃に知っていたら、
もっとみんなの人気者になっていただろうに...

と今更悔やんでみても仕方がないので、
この技術を子供達に教えて、
子供達の人気者になってやろうと密かに目論んでいる
金石健太

| | コメント (0) | トラックバック (0)