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2010年3月26日 (金)

達磨窯@小布施 作業報告 ~その2~

こんにちは。買ったばかりの雨合羽のズボンが早速破けた、土屋です。
これにはかなりのショックです。

さて、川砂を叩いて固める作業ですが、
瓦を積み上げる焼成室の下の峠と呼ばれる部分と、
薪を投入する焚き口から燃焼室へ下っていく部分の、
勾配がつく部分をつくっています。

100_4698
100_4718

数センチずつ盛っては填圧するのを繰り返し、
ピラミッド状に盛り上げていきます。

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100_4737
100_4751

積み上げた層の角を漉き取って、斜めの面をつくります。
中央の三角の部分が峠で、ここを炎が登っていきます。

まだ窯の形や構造がイメージしにくいかもしれませんが、
このあと、この固めた砂の上に粘土を塗って、
いよいよ窯の形を決め、立ち上げていきますので、
ここからどんどん窯らしくなっていくかと思います!

土屋 直人

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2010年3月25日 (木)

達磨窯@小布施 作業報告 ~その1~

こんにちは、雨合羽のズボンの前後の判別が苦手な金石です。

幼児用の衣服同様、ゴムの裏側あたりに
「前」と表記していただきたいと切に願っております。

さて、いよいよ達磨窯の工事が始まっております。
窯の底に川砂を敷き詰めて、
ひたすらたたき占めながら約20cm程重ねた後、
窯の底を形づくっていきます。

そう、川砂を...

結論から言います。
実はこの川砂で我々は少々失敗します...

初めは近くのプラントで川砂を購入して敷き固めました。
川砂を敷いてたたき締める。
工事は順調に進みます。

ところが、、、

プラントの川砂が作業途中で品切れになりました。
聞くと月末にならないと出荷できないとのこと。
月末まで待っていては工事が進みません。
仕方なく別のプラントから川砂を購入したのですが、
この川砂が何度たたいても全く締まってくれないのです。

ナンデ??

理由は未だに謎のままです。
ただはっきりしているのは、
川砂にもいろいろありそうだという事実。

たしかに砂の採取地も違うし、
よく観察すると色味や粒の大きさもプラントによって違います。

Img_4165

考えてみれば、
「川砂」なんて途方もなく曖昧なネーミングですし、
プラントごとに性質が違って当然な気がします。

ただ、我々が勝手に「川砂」という全国共通の商品を
なんとなく思い描いてしまっていたため、
その性質の違いに戸惑ってしまったのです。

期せずして、工業化製品を前提とした
思考回路が出来てしまっている自分と出会いました。
反省です...

ベテラン左官職人に訊くと、
「千曲川の砂は締まらない、締めたいなら松川の砂だ」
とアドバイスをくれました。
これぞまさに生きた知識。
こういう人カッコイイ、と本気で思います。

今回は、さらに別のプラントで
「たたいて締まる川砂」が手に入った為、
工事は順調に進んでおります。

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金石健太

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2010年2月23日 (火)

「仕上げ材」考

こんにちは、栗のイガに靴底を貫通された金石です。

もうじき一冬を越そうという栗のイガ、まだまだ強力です。
侮るなかれ...
かなり侮っていた私は非常に痛い目に会いました。

さて、相変わらず解体工事が進んでおります。

解体工事の醍醐味は、

・普通の建築工事と順序が逆であること
・ある一定の時間が経った後の建物の姿を目の当たりにできる

という点でしょうか。
とにかく普段と違う視点から物事を考える
良い機会であることは間違いないようです。

で、、、
今、作業しながら考えていることは、
「仕上げ材」について。

一口に「仕上げ材」といっても色々あります。
具体的に素材を挙げたらキリがないので
ここでは辞めておきますが、
総じてこの「仕上げ材」、
耐久年数が短いんじゃないかと思うわけです。

こういう解体工事をしていて、
再利用できない廃材の多くは
「仕上げ材」だったりします。

なんだか皮肉な話です...
(ネーミングに問題が潜んでいるような気もしますが)

壊さずに回収できないという意味で
再利用が不可能という要素もあります。
そのこと自体も問題なのかもしれませんが、
それ以前に「仕上げ材」なる商品の数々は、
「汚れ・傷み」が激しくて再利用する気が起こりません。

きっと施工直後は綺麗だったんだろうな...

その当時の様子は容易に目に浮かびます。
でも、ただそれだけのこと...
時が経てばそれなりにくたびれ果てます。

一定の時間が経過したその姿を目にすると、
どうしても少々シラけた気分にもなってしまいます。

一方で、「仕上げ材」なる商品の数々を
一定の評価をしている部分もあります。

なんといっても、安い、作り易い。

これぞまさしく工業化の恩恵でしょう。
これはこれで大きな魅力ではあります。
家を建てると多くのお金を必要とするので、
コストダウンが図れることは喜ばしいことです。

一長一短の「仕上げ材」ですが、
まぁ、冷静になって考えると、

 「安い」工業製品は、長い目で見るとそれなりに「安っぽい」

そんな当たり前のことが見えてきたりします。

金石健太

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2010年2月 3日 (水)

防御

こんにちは、にしやまです。

・前回の件ですが、
 正解は、柱と貫を固定する「楔(くさび)」という材でした。

 001
 縦方向に見える材が柱、横方向に見える材が貫です。
 柱に空けられた穴に貫を貫通させ、
 そこに木舞を掻いて、ベトを塗ると、壁になります。

 貫と柱の交点に注目すると、
 柱に空けられた穴は、貫材の幅(高さ方向)にくらべ、
 随分と余裕があるように見えます。
 この状態であれば、

  柱の穴に貫が通してある

 という状態に過ぎません。

 そこで登場するのが、楔です。

 柱の穴と貫の開いたスペースに楔
 001_2
 を斜めに切り落とされたほうから打ち込むことで、
 (しかも柱の両側から!)
 柱と貫ががっしりと固定されるのです。

 小さいけれど大きな仕事をしている
 楔の紹介でした。

・解体工事につきものの、塵、埃、カス・・・
 彼らが目に入ると、痛みをこらえるためにしばし作業が
 中断してしまいます。

 先日も作業をしながら彼らと戦っていたのですが、
 ふとした拍子に、彼らを迎え入れない方法がわかりました。

 それは

   できるかぎり上を向かないこと

 です。

 重力によって、主に彼らは上からやってきます。
 ですので、目を上に向けなければ、
 やすやすと進入を許すようなことにはならないわけです。

  そんなことわかってるよ。

 と思いました?
 でもです。少なくとも私は、わかっていながらも
 徹底できていなかったことに気づきました。

 それからというもの、たとえ上向きの作業であろうとも
 こまめに下をむき、
 上目遣いの状況を極端に押さえた結果、
 私の目のセキュリティーは強固なものとなりました。

 以上、どうでもいい報告でした。

Photo
 海女のめがねいろいろ

 とくに意味はありません

西山哲雄

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2010年1月21日 (木)

たすひく

こんにちは、にしやまです。

ほかの二人も書いていますが、
最近、民家の解体をしています。

昭和48年に建てられた建物なので、
「古民家」ではありませんが、
それでも今から40年ちかく前ということで、
解体をしていると、しばしば時の流れを感じます。

001
たとえば、ビス。
いまはほとんど見かけなくなったマイナスビスが、
至るところにつかわれています。
逆にプラスのビスはほとんど見かけません。

マイナスがプラスに取って代わられたのは、
それ相応の理由があってのことでしょうが、
マイナスビスのなんとも言えない雰囲気が、
私は好きです。

西山哲雄

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2009年12月10日 (木)

酒林

こんにちは、西山です。

本日、我々は、山へ行ってきました。
そのわけは・・・

Photo
これです。

杉玉(造り酒屋の店先によくある、杉の葉の大きな玉)を
つくるために、
山から軽トラック2台分という大量の葉を集めてくるというのが、
本日のミッションでした。

まとめると、間伐された杉の木の、
葉っぱを切って集めるという、ただそれだけのことですが、
それがなかなかどうして、興味深い経験となりました。

作業開始前、
遠目ではどれも綺麗な緑の葉に見えたのですが、
実際に近寄ってみると、
個体差や伐採された時期の差などにより、
色の差があることがわかりました。

用途を考えると、なるべく青々とした葉を集めたい我々。
おのずと、
できるだけ鮮やかな緑色をした葉を求めて、
杉林の間を行ったり来たりすることに・・。

そして、しばらく作業に没頭した後のことでした。
私はあることに気づいたのです。

 自分の中の、「緑色」の数が増えている。

と。

最初はせいぜい、

 綺麗な緑
 いわゆる普通の緑
 くすんだ緑

といった3段階くらいを識別する程度だったのが、
最後には、うまく言葉では分けられませんが、
感覚的には10段階くらいの「緑色」が
自分のなかで生まれていました。

この感覚、すごくおもしろかったです。

普段みなれた「緑色」のなかに、
自分のしらない新しい「緑色」を発見したような・・。

「緑色」の奥行きを感じた一日でした。

西山哲雄

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2009年12月 7日 (月)

理想の

こんにちは、西山です。

先週の金曜日から日曜日まで、
我々は訳あって茨城へと遠征してきたのですが、
その道中で、いいものを見つけました。

001
これぞ、三和土
という三和土です。
この凸凹具合がたまりません。

年月を重ねた三和土は、このように表面が凸凹になり、
時に苔むし、なんともいえない表情を醸します。

しかし、よくよく考えてみると、

 なぜ表面が凸凹になるのか

ということについて、その理由を深く考えたことがないことに
気づきました。

 真新しい三和土が、年月を重ねるごとに
 履物や箒などによってその表面が削られていき
 凸凹になっていく・・・

となんとなく思っていたのですが、
表面が削られていくのはわかるとしても、
その結果がなぜこのように、
小さな凹凸の連続になるのでしょうか?

・・・・・

文明の利器の力を借りて少し調べてみたところ、

 下駄を履いていたことにより、凸凹ができた

という説があるようです。

う~ん・・、本当でしょうか?
もしそうであるならば、
下駄など履かなくなった現代の生活においては、
三和土はいくら経っても凸凹にならない
ということなのでしょうか?

幸いにも我々はつい最近、
三和土を施工する現場に恵まれましたので、
しばらくその様子を見守ってみたいと思います。

・・・しばらくって、どのくらいかかるか、見当もつきませんが。

西山哲雄

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2009年11月24日 (火)

モノの縁(エッジ)観察日記 ~その1~

こんにちは、電車の車内で爆睡し、
大胆にヨダレを垂らしていた金石です。

先日、気持ちの良い陽気に誘われて、
家族で善光寺へお参りに行く機会がありました。

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最近、「モノの縁(エッジ)」に興味津々の私は、
ついつい信仰心を忘れ、
あれこれと脇道に逸れては素材を観察しておりました。
この日も石畳に夢中になり、
ずっと下を向いて参道を歩くという始末...

Img_4010

善光寺参道の石畳です。
ノミで切り出されたであろうこの敷石たちは、
多くの参拝者がこの上を歩いたおかげで、
今や磨きをかけたような、
つるっとした表情になっています。

で、しばらく歩くとこんな石が目に飛び込んできました。

Img_4009

参道と自動車用の道路が交差する箇所の舗装です。

私の撮影した写真でもわかるくらい、
素材の深みの違いは明らかです。
もちろん、積み上げてきた年月の差は歴然ですし、
両者に優劣をつけることにはあまり意味がないようにも思います。

でも、、、

「何かが違う」という心の中の直感は拭いきれません。

そこで私、よく両者を観察してみました。

で、結論。
石の表面の素材感の違いはさておき、
両者の目地の違いは考察の余地あり。

さすが「モノの縁(エッジ)」に興味津々な男。
目の付け所がマニアックです。

こうして改めて比較してみると、
目地の処理って案外全体の雰囲気に及ぼす影響が
大きいようにも思えます。

言うまでもないと思いますが、
前者の方が遥かに深みが感じられます。

建設業界に身を置き、
あたりまえのように思っていた「目地」の処理ですが、
善光寺の石畳はそんな「あたりまえ」を
見事にぶっ飛ばしてくれたのでありました。

金石健太

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2009年11月12日 (木)

力なり

こんにちは、西山です。

久しぶりに、リアルタイムでブログ更新しています。
このところ、西山分の更新が滞ってしまい
申し訳ありませんでした。

本日、

  10/9、15、20、23、28
  11/4、9

以上の更新を完了しました。
あいかわらずたわいもない話が満載ですが、
よろしければどうぞ。

さてさて、
さすがにこれだけ更新をためてしまったのは初めて
だったので、正直あせりました。

最初のうちは、いくつたまっているかを認識していたのですが、
途中からは、

 とにかくたくさんたまっているけど・・

とアバウトな認識になり、かなり現実逃避をしておりました。

やはり、少しずつやるのが一番ですね。

・・・・というか、日付を偽装して、過去の更新をでっち上げる
というのは、なんだかおかしいですね。

今後はなるべくこのようなことがないようにしたいとおもいます。

ということで、
更新が滞っているあいだに11月に入ったというのに
ここで勝手に

 継続

を今年の個人テーマにしたいと思います。

イメージとしては、バッターが毎日素振りをするように、
私もなんらかの「素振り」を毎日していきたいなと
思う次第であります。

正直、具体的なところはまだ見えていないのですが、
毎日かかさず、
たとえ明日、その必要がなくなるとわかっていても

 素振り

していきたいと思います。

【本日の京都】
001_5
前も取り上げました、京都の犬矢来です。
個別更新可能な、素晴らしいアイテムです。
しかし、右の部分をよく見ると・・
002_6
おわかりでしょうか。
右半分は、竹ではなく、木製です。
竹矢来でも木矢来でもどちらでもいいと思うかもしれませんが、
個人的には、

  ・竹は木にくらべ成長がはやく、わりとどこにでもあり
   入手しやすい。
  
  ・竹を加工するには、鉈とそれを扱う腕があれば十分だが、
   丸太の状態の木からこのような細い材をこしらえるには、
   現実的には大掛かりな機械に頼らざるを得ない

  ・竹矢来は節がリズムを刻み、豊かな表情を生み出している。

  ・竹は容易にしなる。

  
などの理由から、竹矢来を強く推したいと思います。
(現実に、ほとんどが竹矢来ですが・・。)

竹矢来推進委員会
西山哲雄

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2009年10月15日 (木)

前提とするものの違い

こんにちは、西山です。

先日、実家の稲刈りに参戦して参りました。
稲刈りをするのは随分久しぶりだなと思って、
考えてみたらなんと
前回は(おそらく)小学生時代のこと・・。

15年以上ぶりの稲刈りとなりました。

さて、
現代では、稲作の機械も便利なものがあるので、
コンバインなんかをつかえば
稲刈りも楽々と終わってしまうのでしょうが、
我が家の田んぼでは、
ベテランの機械たちが依然として活躍しておりますゆえ、
バインダーで刈った稲を、はぜにかけて干し、
ハーベスターで脱穀するという、少々手間のかかる工程で
行われています。

手間がかかるといっても
刈り取るのは機械がやってくれますので、
私の仕事といえば、
刈り取られた稲束をはぜにかけたり、
はぜを組んでいったりという
それほど力を必要としない作業でありました。

我が家の田んぼは、自家用・親類縁者用のお米を
つくっているだけなので、
広さとすればそれほどでもないのですが、
バインダーで次々と刈られていく稲を見て、

 これを全部鎌で刈れって言われたら・・断ろう。

という強い決意をもちました。
とはいえ、先人たちは当たり前のように鎌で刈っていたわけで、
そう思うと、その苦労に頭がさがります。

 昔は便利な機械が存在しなかったのだから、
 それが当たり前で、特段苦労ということはなかった

と言われてしまえばそれまでですが、
すごく簡単にまとめてしまえば

 前提とするものの違い

ということになるでしょうか。

先人たちは、

 自分の身体が前提

であったわけです。ですから身体を動かし、道具を使って
なんでもやっていました。

ですが、我々世代になるともう

 便利な機械が前提

ということになるわけです。
人間の何倍のスピードで作業する機械や
何十馬力もあるような重機を前提として作業を進める・・。

そのことが悪いわけではないですが、
個人的には

 機械を前提とするということは脆い

と思うのです。

これまたすごく簡単に言ってしまうと

 機械がなければなにも出来ないでしょ?

ということなのです。
そして、

 機械ありきでは、身体に知恵は蓄積されにくい

ということも、感じるようになりました。

最近、
公私にわたり様々な大先輩達と付き合う機会を得て
つくづく思うのが、

 彼らは本当の「知恵」を持っている

ということです。
それは個人差こそあれ、ある世代以上の方々に
共通のことであるように思います。

そこにはやはり

 自分の身体が前提

ということが原因としてあるのではないかと
私は思います。

【本日の一枚】
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我が家の稲刈り風景
長野では鉄製のはぜ棒の足をよくみかけますが、
あちらでは依然として、雑木や竹製のものが主流です。

私がたてた足のいくつかは、
脱穀を待たずして倒れてしまったと
後日報告がありました。

来年の課題とします。

西山哲雄

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