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2009年10月15日 (木)

前提とするものの違い

こんにちは、西山です。

先日、実家の稲刈りに参戦して参りました。
稲刈りをするのは随分久しぶりだなと思って、
考えてみたらなんと
前回は(おそらく)小学生時代のこと・・。

15年以上ぶりの稲刈りとなりました。

さて、
現代では、稲作の機械も便利なものがあるので、
コンバインなんかをつかえば
稲刈りも楽々と終わってしまうのでしょうが、
我が家の田んぼでは、
ベテランの機械たちが依然として活躍しておりますゆえ、
バインダーで刈った稲を、はぜにかけて干し、
ハーベスターで脱穀するという、少々手間のかかる工程で
行われています。

手間がかかるといっても
刈り取るのは機械がやってくれますので、
私の仕事といえば、
刈り取られた稲束をはぜにかけたり、
はぜを組んでいったりという
それほど力を必要としない作業でありました。

我が家の田んぼは、自家用・親類縁者用のお米を
つくっているだけなので、
広さとすればそれほどでもないのですが、
バインダーで次々と刈られていく稲を見て、

 これを全部鎌で刈れって言われたら・・断ろう。

という強い決意をもちました。
とはいえ、先人たちは当たり前のように鎌で刈っていたわけで、
そう思うと、その苦労に頭がさがります。

 昔は便利な機械が存在しなかったのだから、
 それが当たり前で、特段苦労ということはなかった

と言われてしまえばそれまでですが、
すごく簡単にまとめてしまえば

 前提とするものの違い

ということになるでしょうか。

先人たちは、

 自分の身体が前提

であったわけです。ですから身体を動かし、道具を使って
なんでもやっていました。

ですが、我々世代になるともう

 便利な機械が前提

ということになるわけです。
人間の何倍のスピードで作業する機械や
何十馬力もあるような重機を前提として作業を進める・・。

そのことが悪いわけではないですが、
個人的には

 機械を前提とするということは脆い

と思うのです。

これまたすごく簡単に言ってしまうと

 機械がなければなにも出来ないでしょ?

ということなのです。
そして、

 機械ありきでは、身体に知恵は蓄積されにくい

ということも、感じるようになりました。

最近、
公私にわたり様々な大先輩達と付き合う機会を得て
つくづく思うのが、

 彼らは本当の「知恵」を持っている

ということです。
それは個人差こそあれ、ある世代以上の方々に
共通のことであるように思います。

そこにはやはり

 自分の身体が前提

ということが原因としてあるのではないかと
私は思います。

【本日の一枚】
091_4
我が家の稲刈り風景
長野では鉄製のはぜ棒の足をよくみかけますが、
あちらでは依然として、雑木や竹製のものが主流です。

私がたてた足のいくつかは、
脱穀を待たずして倒れてしまったと
後日報告がありました。

来年の課題とします。

西山哲雄

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