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2009年8月 7日 (金)

つぶやき

「普通」のことをしたり、「普通」のものを選ぶのに
理由はいらないのだ。

と最近気づかされました。

こんにちは、西山です。

「普通」という言葉はすごいおおきな力を持っている
と思います。

手元の辞書によれば、

 ふつう【普通】
 ①ごくありふれていること。どこにでもあったり、
  いつでも見られたりして、めずらしくないこと。
  また、中くらいの程度。
  まともでありこと。
  なみ。

 ②たいてい。広く、一般に。

とあります(大野晋『角川必携国語辞典』1200頁)。

ここで私が想定しているのは、②の意味での「普通」です。

たとえば、ある事柄の解決法について
AとBで迷っていても、ほかの人に
「Aがふつうだよ。」
と言われれば、それに従わない手はないように思ったり
するようなことです。

この場合、こちらが

「じゃあ、Aにする。」

といえば大抵の場合、そこで一件落着です。
そうした理由も問われません。
しかし

「Bにする。」

と答えたならば、その人は聞くでしょう。

「なぜBなんだい?」

って。
そうすればこちらは、Bを選んだそれなりの理由を
述べないと、その場は収まらないでしょう。

このことは、すごく当たり前で、
日常よくある出来事だと思いますが、
「普通」だと言う理由で、Aを選んでもいいものかと思うわけです。

この世のなかで、「普通」と思われているものには、
それ相応の理由があって、
「普通」ということになっているのだと思いますが、

 それがなぜ「普通」となったのか?
 
 いつから「普通」なのか?

 本当に今も「普通」なのか?

 そしてこれからも「普通」であり続けるのか?

ということについて、
よくよく考えてみる必要があるのではないかと、
そう思います。

たとえ結果は同じだとしても、
与えられた「普通」ではなく、
考え抜いて「普通」を獲得したいなと
今日は思いました。

西山哲雄

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