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2009年7月30日 (木)

呪縛

こんにちは、西山です。
今日は台所用洗剤をあたらしくしたという話です。
それ以上のことは書いてありませんのであしからず。

・・・・・・

少しばかり前のことになりますが、
我が家の台所用洗剤をあたらしくしました。

それまでは日本のメーカーがつくっている
ごく普通で、スーパーでよく安売りしているようなものを
なんのこだわりもなく使っていたのですが、
ひょんなことから、我が家にあたらしくやってきたのは、
ドイツ製の洗剤でした。

ドイツと聞いて「エコ」と連想する方が多いかと思いますが、
うちにやってきたその洗剤も、大方の予想を裏切らず
「エコ」をうたった商品で、
ドイツの主婦の間では定番となっているほど
昔からある商品のようですが、
このところの「エコ」びいきのながれによって、
日本で(過剰に)もてはやされているものだということが
調べてみたらわかりました。

その洗剤は、原液をそのままスポンジにたらしても使える
のですが、薄めて使用することが推奨されていて、
原液を薄めて泡にして出すことのできる
「フォームボトル」なる容器も販売されていました。

さてさて、
我が家でも「フォームボトル」を手に入れたので、
早速使ってみました。
ハンドソープのボトル容器によくにたその容器に
少々の原液をいれ、水を加えてフタをしました。
そしてノズルを押してみると、
見事な泡がその先からでてくるではありませんか。

そんな些細なことに感動を覚えた私は、
その泡をスポンジでしっかりと受け止め、
意気揚々と食器洗いをはじめました。


・・・これで何事もなく済んだのなら良かったのですが、
この新しい洗剤、なんだか洗えている感じがしないことに
気づきました。

というのも、スポンジに乗せたときは見事な泡が立つのですが、
いざ食器洗いに取り掛かると、その泡が見る見る間に消え、
ただスポンジで食器をなでているような状態になってしまうのです。

で、頻繁に洗剤をつけてみるのですが、
状況はまったくかわらず・・。

どういうことなのだと途方にくれかけたときに、
一つの仮説が浮かびました。

それは

 この洗剤はさして泡立たないのが普通なのかもしれない

ということ。

さして泡立たない洗剤をわざわざ「フォームボトル」で
泡立てて使うというのは、
少し頭を使えばどう考えてもおかしく、
この説に正当性がないことはすぐにわかるはずなのですが、
そのときの私にはそんな判断力はありませんでした。

私が考えたのはつまり、こういうことです。

 食器がうまく洗えている感じがしないと私が感じるのは
 この洗剤が泡立たないからである。
 しかし、私は

   泡立つ→汚れが落ちる→食器が洗える

 という図式にとらわれていないだろうか?
 泡によって汚れが落ち、食器がきれいになることは
 当たり前のことであるように思える。
 しかしそれは、食器を綺麗に洗うための
 方法のひとつでしかないのではないか。

 つまり、私は従来の台所用洗剤や洗濯用洗剤、
 石鹸などを扱った経験から、泡立つことが汚れ落しの
 必要十分条件のように思っていたが

  泡立たないが、汚れは落ちる

 という洗剤があったって、いいはずだ。

と。
ようするに、
 
 さすがドイツ製。
 泡によって汚れを落すという
 私の「当たり前」を簡単に飛び越えてきた!

と思い至ったのです。そして私は、
この洗剤の例のように、
 
 いかに我々が、
 あらゆる局面で従来の慣習や自己の経験からくる
 「当たり前」という感覚に束縛されているか

を勝手に嘆き、そんな呪縛をまず我々が
建築という分野で解き放っていかねばならないな・・。

と、食器を洗いながら感慨にふけっていたわけです。

・・・・・・

ただ単に、「フォームボトル」に入れた原液の量が少なかっただけ
と気づくのは、数日後のことでした・・。

西山哲雄

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