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2008年11月20日 (木)

茅刈り@木島平~番外編その1~

こんにちは、
わけあって連日のブログ当番となりました
西山です。

むかしむかし、
まだあちこちに茅葺民家があったころのこと。

集落の茅葺民家の葺き替えに使われる茅は、
その集落またはその近辺で刈られたものでした。

 茅は肥培管理に労力や資本が必要とすることもなく、
 雑木さえ生えないようにすればどこにでも広く分布して
 いるために、商品としての価値は低かった。
 (菅野康二『茅葺きの文化と伝統』歴史春秋社、353頁)
 
とあるように、昔はあたりまえのように
地元で使う茅は地元で供給していたものでした。

さて、
茅を数えるのに単位があって、
小谷村の牧の入茅場だと、

 一把(小脇に抱えられるくらい)

  ↓
 
 一束(6把分を束ねたもの)

というものでした。

この単位というのは、地方によってばらばらで、

把や束のほかに、

「〆」 「段」 「駄」

などという単位があったようで、
また、たとえば同じ「〆」を使う地域であっても、
こちらの1〆とあちらの1〆が同じ量とは限らないわけです。

要するに、

 茅は嵩張るので、運搬が容易でなかった事などによって、
 集落内での賃借や売買はあっても、広い範囲での移動は
 なかったという事情から、計量単位が市町村や集落によっ
 て異なっていた。
 (前掲書、353頁)

という状態だったわけです。

ひるがえって現在。
茅葺民家は急激に減少し、
集落総出で茅刈りをしたりというような
相互扶助的なシステムは白川郷などの一部地域を除き、
なくなりました。
それとともに、各地にあった茅場もほとんど消滅しました。

ですので、各地にわずかに残る茅葺民家たちの
葺き替えをしようとする場合、
小谷村のように、その地域に茅場が残っている場合はいい
のですが、そうでないときは
茅をどこからか買ってこなくてはならなくなりました。

つまり、
かつてどこにでも生え、商品としての価値も低かった茅は、
いまや立派な商品となり、大きなトラックによって
あちこちへと運ばれるようになったのです。

このことは、先日の金石氏のブログにあったとおりです。

・・・・・・・

それで、ここからが本題であり、
「茅刈りシェイプアップ知的生産術2008@木島平」で
思いついたことなのですが、
申し訳ありませんが、つづきは次回ということで・・。

よろしくお願いいたします。

西山哲雄

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