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2008年8月11日 (月)

暖簾が新しくなりました。

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こんにちは、西山です。

少し前のことですが、
内山節さんの講演を聴く機会がありました。

内山さんは、哲学者でありますが、
東京での生活とともに、
群馬県上野村にも拠点をもち、
上野村では田畑を耕す生活をなさっています。

「里という思想―自然とともに生きる」
と題されたこの日の講演では、

「里」というものに焦点を当て、話が進められました。

  昔は、魂が帰る場所として「里」というものがあった。
  「里」は集落の裏の小山のようなところで、
  死んだら帰る場所として、「里」が用意されていた。
  ムラには、人間の世界とともに、自然の世界があり、
  また、生の世界とともに、死の世界もあった。
  村人による自治意識も高く、
  そこに暮らす人々は、
  ムラに全てがあると感じていた。
  すなわち人々は、「里の民」であった。

  しかし、明治期に入り、近代化を図る政府は、
  「ムラが全て」の「里の民」では、
  近代国家として、統率がとれないと感じ、
  神仏分離令などの施策によって、
  里を解体し、人々を
  「里の民」から「国民」にしていった。

  その後、
  近代化・経済成長の果てに、
  現在では、人々は「里」を持たない生き方になってしまった。
  「里」を持たない生き方は、根っこのない生き方であり、
  安心感・安定感・豊かさに欠ける生き方である。

 
  これまでの近代化、経済成長の方法が立ち行かなくなっている今、
  私達は、新たな里をつくりだす必要があるのではないか。

というようなお話だった。

私のつたない文章力では、この程度のまとめしか出来ませんが、
実際には、様々な具体例を挙げ、「里」というものが
どのような変遷をとげてきたのかということを、
非常にわかりやすく説明されていました。

私が特に印象に残ったのは、
現代の世界を解説された部分で、

 これまでの経済成長の時代というのは、
 「量の拡大」と「質の向上」というものが、平和な関係で成り立っていた
 と信じられていた時代だった。
 しかし現代においては、
 量の拡大によって、環境破壊が進むように、
 質と量の不一致がおきている。

 これからは、
 量の世界を選ぶのか、
 質の世界を選ぶのか、
 ということになるだろう。

 
ということでした。

要するに、
量と質というのは、基本的には、両立し得ない
ということです。

しかし、過去においては、それが両立するかのように思えた時代があって、
そのようなときに通用した方法が、
現代においては、世界中で立ち行かなくなっている
ということですね。

一度成功した方法に固執してしまう気持ちもすごくわかりますが、
そういうときにこそ必要なのは、
事態を客観視することなのかもしれません。

そのためには、さまざまな切り口(補助線)を自分のなかにもっているということも
大事なのかもしれないなと思いました。

西山哲雄

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